使徒聖ペトロ、聖パウロ St. Petrus et St. Paulus Ap.
使徒聖ペトロ、聖パウロ St. Petrus et St. Paulus Ap. 大祝日 6月 29日 かつてイエズス御自ら弟子達に宣うた「総て自らへりくだる人は上げれれるべし」という御言葉はわけえもよく聖ペトロに当たっている。彼は始め一介の漁師に過ぎなかったのに、主の御口づ... 続きをみる
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使徒聖ペトロ、聖パウロ St. Petrus et St. Paulus Ap. 大祝日 6月 29日 かつてイエズス御自ら弟子達に宣うた「総て自らへりくだる人は上げれれるべし」という御言葉はわけえもよく聖ペトロに当たっている。彼は始め一介の漁師に過ぎなかったのに、主の御口づ... 続きをみる
今回は今までの円安とは、趣きが異なります。為替介入がしにくいのです。ないとは断言しませんが、以前よりもかなり困難になっています。昨年、為替介入をしまくったせいか、数日前に日本は為替操作国監視リストに載ってしまいました。今後は、二重の意味で(もう一つは動かせるドル残高の問題。米国債を売らない限り、... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 5 ロマノフ朝の成立 それから四ヵ月たった一六一三年二月、モスクワには各地からの代表、約六百名が集まり、ロシアで空前絶後といわれる大がかりな全国会議(ゼムスキー・ソボー=イワン四世時代につくられた)が開かれた。 ... 続きをみる
亡びた者の邪悪な体は、その生きた火の中で煮えたぎり、燃え上がるであろう。 聖キプリアヌス
聖イレネオ司教殉教者 St. Irenaeus E. M. 記念日 6月 28日 使徒聖ヨハネの愛弟子聖ポリカルポは156年の1月末小アジアのスミルナで栄えある殉教の死を遂げたが、炎々と燃え上がる火中に立ったこの老人の胸は「恩師ヨハネより受けた信仰はこれをことごとく我が弟子イ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 4 救国の英雄 モスクワの「赤い広場」(十七世紀中頃、美しい広場という意味からでたといわれる)を訪れる人は、ワシリー・ブラジョンヌイ寺院のそばに、ふたりの人物の銅像がそびえ立っているのに気づかれるはずである。 そ... 続きをみる
キリストの学校は、慈善の学校である。最終日の一般試験では、アリストテレスのテキスト、ヒッポクラテスの格言、ユスティニアヌスの文節は一切出題されない。慈善(貧者への施しなど)の心がすべてのシラバスである。 聖ロベルト・ベラルミーノ
もし、アステカやインカが、スペイン人の遠征隊を撃退していたら、どうなっていたでしょうか・・・? おそらく、ミシシッピ文化みたいになったでしょうね。この時代、北米にはミシシッピ文化があり、そこには、マウンド・ビルダーを中心とした文明が築かれていました。 1540年、スペイン人征服者エルナンド・... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 3 「ツシノの賊」 偽ディミートリーの死によって、「動乱」はいよいよ本格的となる。 大貴族のシュイスキーが帝位(ワシリー四世)につくが、もはや、この「陰謀野心家のツァーリ」には、全国にひろがった反乱を鎮めるだけの... 続きをみる
私は自分のものではありません。私はイエズスに自分を捧げました。彼は私の唯一の愛でなければなりません。結婚しなければ、どうにもならない貧困に陥るかもしれませんが、私は恐れません。必要なのは少しの食べ物と衣服だけです。私は自分の手で必要なものを稼ぎ、余ったものは親族や貧しい人たちに贈ります。もし、私が... 続きをみる
差し出された恵みをないがしろにしてはならない。罪人に赦しを与える神が、明日も許すとは限らない。 聖ウォルフランド
マイクロプラスチックは、アルツハイマー病や認知症、うつ病など、様々な疾患の原因になります。ペットボトルを持ち歩くのは仕方がないとして、自宅ではPETやプラスチック製の容器は使わないようにしましょう。ストローもなるべく金属製を使いましょう。 今回のCNNの調査では、性的不能者の局部に多種類のマイ... 続きをみる
マグデブルグの聖アダルベルト大司教 St. Adalbert de Magdeburg 記念日 6月 20日 ロシアのキエフのオルガ女王は長い間、国を統治していたが70歳の時キリスト信者となり、ドイツのオットー大帝に頼んで自分の臣下たちを改宗させるために宣教師を派遣してくれるように頼んだ... 続きをみる
勿論、「聖母の被昇天」とあるのですから、私たちカトリック信者は、聖母が霊肉共に天国に上げられたとは普通に想像がつくはずです。だけでなく、これは、ピオ12世によって教義宣言されていたと思います。 が、亡くなってから復活して体ごと天に上げられたのか、亡くなる前に上げられたのか、など、なお議論の余地... 続きをみる
施しは、貧しい者に与えられるべき遺産であり、イエズスが私たちに課された正義である。 アッシジの聖フランシスコ
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 2 偽者ツァーリ ロシア史における「動乱」時代の特色は、「皇子ディミートリー」を名のる謎の人物が、あいついで登場することである。 彼らが何者であったかは、いまだに不明である。 一説によると最初にポーランドに出現... 続きをみる
地上には天が癒すことのできない悲しみはない。 聖トマス・モア
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 1 帝位を奪ったボリス・ゴズノフ ロシアのモスクワ国家では、専制皇帝イワン四世(雷帝・在位一五三三~八四)の死後、この皇帝のもとで恐怖の日々をおくっていた大貴族たちが勢力をもりかえし、多年の混乱をひきおこした。 ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 7 「大御代(おおみよ)」の終わり ルイ十四世の大きな政策の一つは、一六八五年「ナントの勅令」を廃止したことであった。 これは十六世紀末(一五九八)に、ときの国王アンリ四世が発してプロテスタント... 続きをみる
私は彼らにはっきりと言った「心から改心し、心を尽くして、私たちの神である主に向かいなさい。神にとって不可能なことは何もないのだから、主は今日、あなた方が満足するまで、道中の食料を送られるかもしれない、主はどこにでも豊富におられるのだから」。そして、神の助けによって、それは実現された。見よ。見よ!豚... 続きをみる
(挿絵はフェリペ5世) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 6 スペイン王位をめぐって ハブスブルク家のスペイン王カルロス二世(在位一六六五~一七〇〇)は、二度結婚したが、子供がなかった。 当時のスペインは十六世紀以来、衰えたりと... 続きをみる
世界はあなたの船であって、あなたの家ではありません。 リジューの聖テレーズ (仮住まいであり、移動手段であっても、最終目的地ではないということ)
神の怒りを招くでしょう。 米最高裁、妊娠中絶薬の流通認める 2024.06.14 Fri posted at 09:40 JST(CNN) (CNN) 米連邦最高裁は13日、経口妊娠中絶薬「ミフェプリストン」の流通規制を求める訴えを退け、中絶薬の入手・使用を引き続き認める判断を示した。中絶の権利... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 5 「スカロンの寡婦」 一六七九年、モンテスパン候妃が見いだした新しいライバルは、前述のマリー・アンジェリック・ド・フォンタンジュ(一六六一~八一)であった。 金髪で十八歳のこの小娘に対して、モ... 続きをみる
霊によって歩め。そうすれば、肉の欲を遂げさせることはない。実に肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反する。あなたたちが望みのままに行わぬように、それらは相反している。 ガラツィア人への手紙 5章16-17節
まどろっこしい説明を避けるため、答えだけを書きますと、かつては正しかったのですが、今は間違っています。 30~40年前までは、定期預金の金利は6-8%ありました。一方で、インフレ率は、非常に低い値に抑えられてきました。預金をしておけば、ひとりでに額は増えていくのに、物価はそんなには変わらないの... 続きをみる
(ローマ神話をイメージした仮装をしたルイ14世と后妃たち) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 4 誇り高き侯妃 宮廷がベルサイユに移るまえのことである。 前述のルイ十四世の愛人ルイーズ・ド・ラ・バリエールは口数も少なく、王を喜ば... 続きをみる
天の都は、ローマとは比較にならないほど素晴らしい。そこには勝利の代わりに真理が、高い地位の代わりに聖性が、平和の代わりに幸福が、生命の代わりに永遠がある。 聖アウグスティヌス
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 3 廷臣たち 新装のベルサイユ宮殿には廷臣の用に供するための多くの部屋があり、ルイ十四世はこれらを貴族たちに適当に与えたわけであるが、それこそ彼らにとって、まず何よりの恩寵であった。 それから廷... 続きをみる
真の友人関係は、自分の考えていることを決して隠さない。 聖ヒエロニムス
パドアの聖アントニオ聖会博士 St. Antonius de Padua C. et E. D. 記念日 6月 13日 パドアの聖アントニオといえば、大方の読者はすぐに、縄帯褐衣、フランシスコ会修士の服装で幼きイエズスをお抱きしている聖人の聖絵を思い起こされるであろう。これはある時イエズス... 続きをみる
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。 ヨハネの黙示録 3章 16節
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 2 太陽王のある一日 ベルサイユの宮殿と庭園の工事には、当時の美術家たちが動員された。 宮殿中央の主館を設計したのはル・ボー(一六一二~七〇)であり、マンサール(一五九八~一六六六)はこれをうけ... 続きをみる
サハグンの聖ヨハネ司祭証聖者 St. Joannes a S. Facundo C. 記念日 6月 12日 南欧には熱しやすく冷めやすい、いわゆる多血質の人々が多いが、かかる人々を心服させる為には、何か目覚ましい功績を立てねばならぬ。本日は華々しい活躍を以て彼等の心をしっかりとつかんだ... 続きをみる
聖バルナバ使徒殉教者 St. Barnabas Ap. M. 記念日 6月 11日 聖バルナバはもとヨゼフという名であったが、主イエズス・キリストの弟子になってから、仲間の者にバルナバ(雄弁家という意味)とあだ名されるようになった。 かれはキプロ島の生... 続きをみる
パリの聖ランドリー司教 記念日 6月 10日 650年にパリの司教に任命されたランドリーは、パリ市内にたくさんの貧しい病人たちがいて、病気の治療はおろか、入院するための病院すら十分でないのをみて、このような人々を世話するための病院が必要であることを認め、カテドラルの傍らに大きな病院を建... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 1 愛のかたみ ベルサイユは、ルイ十四世の情事と深い関係をもっている。 ルイはすでに一六六〇年スペインからマリー・テレーズを王妃にむかえ、政略結婚とは思えないほど、まともな結婚生活をおくっていた... 続きをみる
慈愛と謙遜の心を持ち、施しをしよう。施しは私たちの魂を罪の汚れから浄化してくれるからだ。死によって私たちはこの世で持っているものをすべて失うが、慈愛と行った施しを一緒に持って行き、そのために神から大きな報いを受けるだろう。 アッシジの聖フランシススコ
ヨークの聖ウイリアム司教 記念日 6月 8日 ウイリアムは、イギリスのヨーク大聖堂の参事会員及び会計係として功績をあげ、1142年にサースタン大司教の死後、カテドラルの参事会員の大部分によって大司教に選挙された。しかし、こ... 続きをみる
いろんな金地金業者のサイトにこんな説明があります。一例を紹介します。 地球上に存在する金はわずか23万トン 人類が金を手にして以来、6000年の間に採掘された金の総量は約17万トンといわれています。これはオリンピックの公式プール約3杯分。結構ある?と思われがちですが、実は非常に限りある資源です。... 続きをみる
聖ノルベルト大司教 St. Norbertus E. 記念日 6月 6日 1015年頃の事である、皇帝ヘンリコ5世の宮廷に、ノルベルトという副助祭がいた。家は門地の高い貴族で、収入も相当豊かであったが、ただその生活振りは地位に似げなく放縦を極め、甚だ感... 続きをみる
聖ボニファチオ大司教殉教者 St. Bonifatius Archiep. M. 記念日 6月 5日 8世紀から9世紀にかけて、イギリスには熱心な信者が多く、殊に司祭修道士達の間からは、己が信仰に精進するばかりでなく、遙々外国までも押し渡って布教に活躍する者が輩出したが、異教... 続きをみる
聖フランシスコ・カラッチオロ司祭証聖者 St.Franciscus Caracciolo C. 記念日 6月4日 ルターが聖会にそむいて後、天主の聖旨に従って異端者等から受けた損失を快復すべく、幾つかの修道会が生まれたが、その中に「小さき聖職者修道会」というのがあった。本日記念する聖フランシ... 続きをみる
聖カロロ・ルワンガと同志殉教者 記念日 6月 3日 ウガンダのムワンガ王は、自分の侍従兼王室長官としてヨセフ・ムサカ・バリクデンペという若いキリスト信者を任命した。ヨセフは、ムワンガ王が若者たちをみだらな行為に誘うので、王を嫌って、若者たちを保... 続きをみる
聖エラスモ司教殉教者 St. Erasmus m. 記念日 6月 2日 一般に聖エルモという名で知られているエラスモは、シリア人でイタリアのカンパーニャのフォルミアの司教であったと伝えられている。キリスト信者たちがディオクレチアヌス皇帝によって迫害されていた時、エラスモ... 続きをみる