5-4 空中庭園

『文明のあけぼの 世界の歴史1』社会思想社、1974年
5-4 空中庭園
前述したように、バベルの塔を修復して美化し、へロドトスの伝えるような驚異的な姿にしたのは、この新バビロニア王国のナボポラッサル王と、二代目のネブカドネザル二世だった。
当時のバビロニアは「すべての国のなかでもっとも美しい」といわれた。
世界の各地から、さまざまの人種の人々が、首都のバビロンに集まってきた。
彼らはさまざまの国の言葉をしゃべったにちがいないから、人々の言葉が混乱したというバベルの塔の物語は、こういう実際の市のようすが反映しているのだろう。
新バビロニア王国は紀元前五三八年に滅びるが、バビロン市はその後も繁栄をつづけた。
しかし、ヘレニズム時代にはいると、シリア王国の一部となり、紀元前二七五年には、新しくできたセレウキアという市に、全住民は移住させられてしまい、住民のいなくなったバビロン市は滅んでしまった。
ヘブライのイザヤという予言者は、
「カルデア人の誇りである麗(うるわ)しいバビロンは、そこには長く住むものが絶え、ずっとのちのちまで住みつくものもない。……
ただ野の獣(けもの)がそこに伏し、ほえる獣がその家に満ち、駝鳥(だちょう)がそこに住み、鬼神がそこに踊る。ハイエナはその城のなかで鳴き、山犬は楽しい宮殿でほえる」
と予言していたと伝えられている。
この予言がそのままに実現し、住み手のなくなったバビロンは土の下に埋まってしまった。
一八九九年からドイツの調査隊がバビロンを発掘したことはさきに述べたが、そのころバビロン市の遺跡は、エウフラテス川の東岸、バグダード市の南約八〇キロほどのエ・サクンとよばれたところに、六つの丘になっていた。
市は二重の城壁でかこまれていた。ヘロドトスはこの城壁の長さを、一〇〇キロほどあったと伝えているが、実際は一〇キロほどだった。
外側の城壁は厚く、上を四頭立ての戦車を走らせることができた。
城壁の外側には堀があり、それを掘った土で煉瓦をこしらえ、それが城壁建造用に使われたと伝えられる。
市には百の門があったとヘロドトスは伝えているが、もちろんそんなにたくさんはなかった。
大きな神殿だけでも五十三あり、地の神々のための小さな祠(ほこら)は三百以上あり、天の神々のためのものは六百以上もあったという。
エウフラテスの西岸には新市がつくられ、新旧両市のあいだには一二〇メートルもある石の橋がかけられていた。
道は直交する立派なものが何本もあった。新年祭の行列の通る「行列道路」は道幅もひろく、舗装してあり、道の両側は、イシュタル神のしるしであるライオンやマルドゥク神の属性といわれる奇怪な聖獣を浮き彫りのように表わした、釉薬の煉瓦でできた壁が立っていた。
その一部や「イシュタル門」は、ドイツに移築・復原され、今日、ベルリンの「ペルガモン博物館」にある。
王宮は市の北部にあった。
バビロンの王宮は、「世界の七不思議」の一つに数えられた「空中庭園」あるいは「吊り庭」とよばれるもので有名だった。
こういうよびかたは、空中に庭園がぶらさがっているような感じだが、もちろんそんな庭はいくら七不思議の一つでも、つくられるはずはない。
発掘の結果、「空中庭園」の跡と思われるものが出てきたが、アーチや列柱で露台をつくり、そういう露台を何層かかさね、その上に草木を植えた一種の屋上庭圉だったらしい。
緑の少ないこの地方では、高いところに草木が青々と繁茂していることは、じつにふしぎだったにちがいない。
これらの草木に給水するためにつかわれたらしい井戸の跡もみつかった。
空中庭園は遠くからみると、木の茂った小山のように見えたであろう。
この空中庭園は伝説によると、ネブカドネザル二世が、妃――ヘロドトスはその名をセミラミスと伝えている――のために、つくったといわれる。
セミラミスはメディアのキャクサレス王の王女だった。
新バビロニア王国の王ナボポラッサルがキャクサレス王と同盟して、ニネヴェを攻略したことは前述した。
この同盟を強化するために、新バビロニアの王子ネブカドネザルは、メディアの王女を妃に迎えたわけだった。
セミラミスの故郷のメディアは山国だった。その山国から平坦で山のないバビロン市に輿入れした王妃をなぐさめ、故郷をしのぼせるために、ネブカドネザルは、一見、山のようにみえる空中庭園を建造したのだった。
セミラミスは王の心づくしでつくられた庭園の木の下で涼み、花を見、木の実をつみ、鳥のさえずりをきいて、ホームシックをなぐさめたことだろう。
新バビロニア王国は、このように当時の人工の粋をつくした王宮をもつほど繁栄したが、その繁栄は長くはつづかなかった。
ネプカドネザル二世ののち三十年もたたないナボユドス王のとき(紀元前五五六~五三八)に、そのころ興ったペルシアのキュロス王に攻められて、滅んでしまった。
旧約聖書の「ダニエル書」は、この際におこった奇怪な物語を伝えている。
当時ナボユドス王は病気だったため、王子のベルシャザルが摂政をしていた。彼はある夜、妃や臣下を千人も集めて大宴会をひらいた。
ベルシャザルはネブカドネザル王がイェルサレムの神殿を攻めたときに奪ってきた金銀のさかずきや器を、宴席でつかわせていた。
こういう豪華な宴会をしているとき、突然、空中に人の手が現われた。
そして宮殿の壁に文字を書いた。ベルシャザルはこのふしぎをみて、顔色がかわり、腰がぬけ、ひざはわなわなふるえた。
彼は知恵のあるものや占い師をよんでこさせ、この文字を読み、意味を説明するように命じた。
しかし大ぜいの学者や占い師がやってきたが、だれも壁の文字を読むことも説明することもできなかった。
そのとき王妃が、
「まえにネブカドネザル王のときに、たいそう知恵のあるユダヤ人のダニエルというものがおりました。
彼はよくむずかしい夢や難問を解いて、ネブカドネザル王に寵愛され、占い師の長にされました。
彼ならきっとこの文字を読み解くでしょう」
といった。
こうしてダニエルがよびだされてきた。そして王妃のいったとおり彼は文字を読み解いた。
「あなたは高慢で、本当の神であるヤハウェをあがめようとせず、その神殿の金・銀の器で宴会などしたので、神が手を出現させて、文字を書いたのです。
これは、メネ・メネ・テケル・ウパルシンとよめます。
その意味はあなたの治世は終わり、あなたの国も滅びるという予言です」
この夜、ダニエルの読み解いたとおり、ペルシア王が攻めこんで、ベルシャザルは殺されてしまったという。
ヘロドトスはちがった話を伝えている。
ペルシア王キュロス二世は、ひそかにエウフラテス川の水門をひらき、川の水を湖や沼に流し入れ、川の水をほしあげた。
そして水のなくなった川床を渡って、バビロンの市中に攻めこんだ。
まったくの不意討ちだったため、市の住民はぜんぜんこの敵襲に気づかなかった。
また市があまりに大きいために、市の一部で敵襲がはじまっていても、市の中央に住んでいたものはこれを知らず、たまたま当日は市の祭りにあたっていたため、飲み歌い踊っていた。
そのためあえなく市は、キュロスの手に落ちてしまった。
これがヘロドトスの伝える話である。
これにもいろいろ信じがたい点もあるが、本当の話に、いくらか近いであろう。
こうして新バビロニア王国は滅び、二千年以上もつづいた古代メソポタミアの栄光は消滅した。