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聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ(1897ー1930) ◆4、ついに憧れの修道生活に

カトリック

『聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20

◆4、ついに憧れの修道生活に

 パンプーリは、誰にも話さないで聖ヨハネ病院修道会の一つの支部に試しに行きました。ここでかれは、"わたしが修道者となっても病人の世話を続けることができる。そうだ、これこそ神がわたしのために準備してくださった道にちがいない"という確信ができたのです。

 家族のものはまだ何も知りません。しかし今となっては話さないわけにはいきません。すると、姉さんも叔父も主任司祭もみんな大反対です。何とかしてみんなは、その考えをひるがえそうとしたのですが、かれは、非常におちついていました。そして、しっかりした調子で答えました、「わたしは神の招きに従わなければなりません。どうしても聖人にならなければならないのです」と。

 かれが家族と別れて修道院に入った同じ日の夜、兄弟や親戚に手紙を次のように書きました。「みんなが悲しんでいるのをみて、どんなに辛かったことか!どうぞお許しください。これまで、わたしのためにしてくださった大きなご恩に心から感謝しています・・・」と。

 またシスターになった姉さんにも手紙を書き、かの女が聖霊に祈ってくれた九日間の祈りが、この偉大な恵みを得させてくださったことを心から感謝していました。

 モリモンドの村人たちは、このことをちっとも不思議に思いませんでした。

「あんなに熱心に、いつも祈っていた先生じゃないか、わたしは、いつか修道院に入ると前から考えていたよ」といい合ったのです。でも叔父のカルロは、心配していいました(かれは医者だったので、パンプーリの健康状態をよく知っていたのです)、「修道院のきびしい生活では長くもたないだろう」と。そして実際にそうなったのです。それはすぐ修道生活をやめるという意味ではありません、早く死んだからです。

 こうしてかれは、ブレシア市の修道院に入りました。その修道院は大きな、そして有名な総合病院が附属していました。

 かれパンプーリは次の十一月二十一日に着衣式が行われ、修道名をリカルドとなのったのです。プレシア市の修道院では、修道士たち、特に修練者たちは、病院の掃除係もしていました。パンプーリ先生は、今修道士となっていても他の修道士よりも、学識や威厳や経験があるのに、かれはこのことを忘れさせようとしていました。そのため他の若い修道士と同様に病院のいろいろの掃除をしていました。それをみると、かれを前から知っていた人々はつまずきました。
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