カトリック情報(緊急避難ブログ)

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6-4 アルキビアデスとアテネの敗戦

カトリック

『古代ヨーロッパ 世界の歴史2』社会思想社、1974年

6 ギリシアを二分した大戦争 ―ペロポネソス戦争―

4 アルキビアデスとアテネの敗戦

 アテネ人のなかには、これで戦争は終わったと考えた人々が多かった。
 ペロポネソス戦争の歴史を書いたツキディデスもそうだった。
 しかし実際はいわば「冷たい戦争」がつづいていたのだった。
 休戦はアテネとスパルタのあいだだけのことで、お互いの同盟市は休戦していないといいはり、敵対をつづけた。
 休戦の条約では、アテネとスパルタは互いに捕虜を交換し、占領地を返して、戦争前の状態にかえる約束だった。
 しかしアテネもスパルタも互いに相手より少しでも有利な地位にいたかったので、占領地の返還はなかなか行なわれなかった。
 また互いに猜疑心が強くなり、アテネはデロス同盟を強化するために、アルゴス、エリスなどと、スパルタはペロポネソス同盟を強化するために、従来は敵対していたテーベなどのポリスと結んだ。
 こういうように、「ニキアスの和」の条件はよく守られず、かえって混乱を招いたので、アテネではまた抗戦派が台頭してきた。
 その主唱者はアルキビアデスだった。
 アルキビアデス(紀元前四五〇年ごろ~四〇四年)は、ペリクレスの親類だった。
 まれな美貌と、美しい肉体の持ち主であった。
 若い男性の美を特に愛したアテネ人のあいだではたいへんな人気があった。
 彼の舌足らずの話し方が伊達(だて)男のあいだで流行になったほどだった。
 名門の金持ちに生まれ、人々にちやほやされたため、彼はわがままなお坊っちゃんに育った。
 のちにソクラテスを訴えたアニュトスは、ことにアルキビアデスが好きだった。
 彼はあるとき客を招いて宴会をしたが、アルキビアデスは気がむかないと招待を断わった。
 そのくせあとで奴隷を連れて、アニュトスの家にやって来た。
 しかし彼は宴会の席にははいらず、部屋の外からテーブルの上の金銀の食器に盛ってあるご馳走を見て、「あれを半分取ってこい」と奴隷に命じて、さっさと帰ってしまった。
 他の客たちは驚いて「なんて無作法で、傲慢な男だろう!」といった。
 するとアニュトスは「いや、彼は礼儀を心得ている。全部取ってもよいのに、半分残して行ったではないか」と、怒りもしなかったという。
 アルキビアデスはアニュトスに、こんなにつれなくしたが、ソクラテスには彼のほうから慕いよった。
 プラトンの『饗宴(シンボジオン)』という本には、アルキビアデスはソクラテスの稚児さんにしてもらおうと慕いよったが、ソクラテスは自分の肉体的魅力を感じてくれなかったと酔ったまぎれに、そうとう露骨な告白をしている。
 アニュトスがソクラテスを訴えたのは、こういう恋のもつれからだという説もある。
 女性の地位はアテネではひじょうに低かった。
 家の中で糸を紡いだり織ったりするのを仕事にして、外にはなるべく出ないようにしつけられていた。
 毎日の買い物も奴隷か、むしろ主人の仕事だった。夫の客の前にも妻は出ないことになっていた。
 そのため酒の席をとりもつ、わが国の芸者のような職業婦人(ヘテイラ)がいた。
 彼女たちは男たちと会話するため教養も高まり、また金をかせいで、金持ちになった者もいた。
 ペリクレスの妻になったアスパシアも、もとはヘテイラだった。
 アテネのように女性の地位の低いところでは、男は女と交際する機会が少なかった。
 スパルタではアテネとくらべれば女性の地位は高かった。
 しかし若い男たちは、男たちだけの兵営生活を送っていた。
 したがって、こういうギリシア世界では、男性同士の同性愛が盛んで、「恋」といえば男と女のあいだの感情ではなく、男と男の場合がむしろふつうだったのである。
 紀元前四一五年に、シチリア島ではシラクサとエゲスタが戦っていた。
 エゲスタはアテネに援軍を求めた。アルキビアデスはエゲスタを助けることを主張した。
 シラクサを制圧してシチリア島を支配下におき、さらにカルタゴなどをおさえれば、アテネは地中海西部も支配できる。
 そうなればスパルタと戦わなくても、けっきょくスパルタもアテネの支配下にはいると、彼はアテネ人たちを煽動した。
 ニキアスなどは反対したが、シチリア遠征は決行されることになった。
 遠征を主唱したアルキビアデスも、反対したニキアスも遠征軍に選ばれた。
 いよいよ遠征軍が出発する前夜に、奇怪な事件が起きた。
 アテネの辻々に立てられていたヘルメス像が、一夜のうちに何者かに壊されたのだった。
 これらのヘルメス像は土俗信仰の名ごりを残した奇妙な神像で、生殖神崇拝などとも関係があった。
 大事な遠征の前夜に神像が破壊されるというのは、何か不吉な前兆に思えた。
 さっそく取り調べがはじまったが、この?神罪(とくしんざい)とアルキビアデスが関係があるという噂がひろまった。
 彼は法廷に出て、黒・白を争いたいと主張したが、艦隊の準備ができている今は、遠征をやめるわけにはいかないと、彼をその指揮者の一人として遠征軍は出発した。
 百四十隻の三段橈船(さんだんかいせん)に七千人近い兵士が乗りこんだ。
 ところが欠席裁判で、彼は有罪で死刑という判決がおりた。
 彼を召還するために使いが出された。
 アルキビアデスは途中で逃げて、スパルタに行った。
 そして、アテネのシチリア遠征が、けっきょくはスパルタを遠まきに滅ぼすことを意図していることを明かし、シラクサに授軍を出すように、スパルタにすすめた。
 またスパルタは紀元前四三一年から四二一年の十年戦争のあいだには、毎年のようにアテネ遠征軍を出していたが、それではききめがないから、アテネのデケレイアという所を占領して、堡塁を築くようにすすめた。
 このすすめを入れて、スパルタはシラクサに援兵を出し、アテネとの冷たい戦争は、ふたたび熱い戦争になった。
 アテネはシチリアでスパルタのギュリッポスの率いる軍隊に敗れた。
 アテネから援軍が来たが、戦況をたてなおすことはできなかった。
 アテネ軍は軍の撤退の決心をした。
 ところが月蝕が起こり、それを不吉な前兆と見たニキアスは、軍の撤退を遅らせるなどぐずぐずしているうちに、戦況はますます不利になった。
 アテネ軍は包囲され、捕えられて石切り場に入れられた。
 ニキアスも捕えられ、紀元前四一三年の九月に処刑された。
 アテネはペロポネソス戦争にけっきょく敗れるが、それまでにはまだ十年近くある。その間にはスパルタにもアテネにも互いに勝敗があった。
 しかしシチリアの敗戦からのちは、しだいにアテネ側に戦況は不利になっていくばかりだった。
 国内では国営の銀山ラウレイオンから、採掘夫の奴隷たちがおおぜい逃げ、採掘ができなくなった。
 スパルタは戦争のはじめから毎年のようにアッティカ地方に遠征軍を出していたが、それは夏期の短期間だけのことだった。
 アテネ市民はそのあいだ市中に籠城して、その攻撃をそらしていた。
 そのため田園が荒らされるくらいで、そう打撃は大きくなかった。
 しかし、アルキビアデスの献策に従って、デケレイアに堡塁を築いてからは、スパルタはいつでもアテネ人を攻撃できるようになり、アテネ人は一年じゅう市中に籠城し、一歩も城壁の外に出られなくなった。
 また、これもアルキビアデスがスパルタに教えたことだったが、スパルタはペルシアと交渉して、海軍のための費用を出してもらった。
 このため、スパルタ海軍はしだいに有力になり、アテネの輸送船を脅かすようになり、アテネは大事な食糧輸入路を確保しにくくなった。
 ペルシアはこの資金援助とひきかえに、イオニア諸市に対する支配権を強め、これらの市に税を課すようになった。
 アテネの実力はそれを押えにくくなり、デロス同盟を脱退する市が、しだいに多くなった。
 こうしてアテネは敗戦への道をたどる。
 紀元前四〇六年にアルギヌサイで、アテネ海軍はスパルタに大勝しているが、翌年アイゴスポタモイでは、決定的に敗れた。
 その結果ビザンティオンもアテネにそむき、アテネは黒海方面からの糧道を断たれた。
 こうして紀元前四〇四年には、ついにアテネはスパルタに降り、二十七年間つづいたペロポネソス戦争は終わった。
 この戦争の転回点をつくったアルキビアデスは、戦争が終わった年に、フリュギア地方の小村で死んだ。
 それまでに彼の運命には種々の有為転変(ういてんぺん)があった。
 彼は一時スパルタで大歓迎されたが、そこでアギス王の妃に男の子を生ませたりして人気を失い、ペルシアに走った。
 アテネでは敗戦の色がこくなったために、スパルタとの和平をはかって、紀元前四一一年に一時四百人の市民が政権をにぎる寡頭政体ができた。
 この間にアルキビアデスはサモスにいるアテネ海軍に働きかけた。
 そしてその将軍となり、キュジコスその他でスパルタ海軍に勝った。
 これで人気は回復し、かつて死刑を宣告されていたアルキビアデスは、祖国に凱旋将軍として迎えられた。
 しかしその人気も長つづきしなかった。
 彼の部下のアンティオコスが失敗してから、ふたたび人気がなくなった。
 彼はペルシアに逃げ、フリュギアの総督ファルナバソスを頼った。
 ペロポネソス戦争に敗れたアテネには、極端な寡頭政体、三十人の政治が樹立した。
 その政治は前述したように乱暴だったので、アテネ人のなかには、ふたたびアルキビアデスを招いて、三十人の政治を倒そうという考えを持つ者が出てきた。
 これをスパルタの将軍リュサンドロスに告げた者があった。
 リュサンドロスはファルナバソスに使いを出して、アルキビアデスを殺すように頼んだ。
 アルキビアデスはフェルナバゾスの部下の者に囲まれ、家に火をかけられた。
 家からとび出した彼に向かって槍や矢が投げられ、彼はこれに当たって死んだという。
 しかし、いたるところで浮き名を流した彼は、ここでもある名家の娘を誘惑したために、その兄弟たちのうらみをかい、火をかけられ、射殺されたのだという噂もある。
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