ほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)3

『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編
◆3、旧約時代の前じるし
① 「ああ感嘆すべきまじわりよ!人類のつくり主は、霊あるからだを取って、おとめ〔マリア〕からお生まれになりました。男の助けなしに人となり、わたしたちをその神性にあずからせたのです」(典礼から)
② 「みめぐみによって.あなたを選び、あなたから生まれて世を照らされたお方は、賛美されますように」(第5篇のおりかえし)。
第1考察 終生おとめなるおん母の賛美
初代教会をなやました異端者のなかで、グノシス派をなのるものがいました。かれらは、信仰の奥義をも、人間の知識ーグノシスーだけでさぐろうとし、人間の知織で何でも説明しようとしていました。そして、人間の知識だけで説明できないものを、否定していました。かれらがこうして、マリアの終生処女性の特権までも、いなんでいたので、聖エフレムは、かれらのことを"さぐり人"と"えせ学者"とよんで、はげしく非難しました。
聖エフレムのことばをよみましょう。
〔第5編〕
① ひとりのおとめが、おとめのまま、子を生む話しをきいても、えせ学者と、さぐり人とは信じません。
そして、このことが、自然の法則によれば、どうしてもありえないと、悟っているからです。でも、マリアの場合、大自然はのりこえられ、完全にうちまかされてしまいました。じじつ、マリアは、みごもってもおとめであり、処女性をうしなわないそのままで、おん子を、この世に生みました。これほどのできごとを、どうして、大自然の法則だけで、説明しつくすことが、できるでしょうか?
② おん子が生まれ出たのは、人間の〔ほんとうの〕子どもと同じだったのに、おん母は、神の不思議につつまれて、もとの処女性をそこなわず、保っていました。そのままに。ご胎内の実を生みだしてからも、実をやどじたその胎は、封じられたままに残ったのです。それで、おん子のご誕生は、奇跡的な誕生で、まったく新しい方法により、おとめは、おん子を生んだのでした。
でも、ふつうのおとめのばあいは、自然の法則に結ばれて、決してマリアのようには、できません。
③ この聖なるおとめこそ、わたしは賛美をうたいたい、みめぐみによって、すべての人の、みあるじの母となった、このおとめを。すべてきよく、マリアはみごもり、おん子を生んで、ご胎の実を、世にあらわしたそのときも、人の助けを、つゆほども、なにも必要とは、しませんでした。これほどの大きな不思議が〔マリアの場合に〕おこなわれたのです。
〔こうして〕マリアは、あの感嘆すべきお方を生みましたが、それは、さぐりえない、神のみわざでありました。そうです、こればかりは、いくら、えせ学者がさぐろうとしても、きわめえない奇跡なのです。
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