教皇ピオ11世「救治と手段」『ディヴィニ・レデンプトリス』
しかしながら、自分に責任のある原因によらないで悲惨にあえぐ無数の貧困者を見、そのそばに、他人のことは考えないで遊惰にふけり、つまらないことのために莫大の金を浪費する富者があるのを見るにつけて、余は、正義がまだ十分に守られていないばかりでなく、愛の掟もまだ理解されておらず、毎日の生活に実践されていないことを認めて悲しまずにはいられない。
それゆえ、尊敬すべき兄弟たちよ、余は、キリストの真の弟子たる者の貴重なしるしであり、特徴であるこの神聖な掟を、言葉とペンとをもって、もっとよく認識させるよう努力することを望むものである。この愛の掟は、苦しむ人々のなかにイエズス御自身を仰ぎ見るように教えるとともに、神にてまします救い主がわれわれを愛したもうたように、兄弟たちを、自己の生命を放棄し、これを犠牲にするまで愛する義務を課するものである。
最後の審判の宣告において、至上の審判者が発するなぐさめにみちた言葉、しかしまた恐るべき言葉を、しばしば瞑想しなければならない。
「わが父に祝せられた人々よ、来るがよい。なぜなら、私が飢えたとき、あなたたちは食物をめぐんだからである。・・・まことに、あなたたちに言う。このもっとも小さい兄弟の一人になしたことは、みな、私になしたのであると」(マテオ25:34-40)。
しかしまた仰せられるにちがいない。
「呪われた人々よ、私のそばを去って、永遠の火に入るがよい。なぜなら、私が飢えたとき、食物をめぐまず、私が渇いたとき、飲物をめぐまなかったからである。・・・まことに、あなたたちに言う。この小さき者の一人になさなかったことは、私になさなかったのであると」(マテオ25:41-45)。
教皇ピオ11世「救治と手段」『ディヴィニ・レデンプトリス』1937年3月19日(岳野慶作訳、中央出版社、1959年、pp.109-110)

それゆえ、尊敬すべき兄弟たちよ、余は、キリストの真の弟子たる者の貴重なしるしであり、特徴であるこの神聖な掟を、言葉とペンとをもって、もっとよく認識させるよう努力することを望むものである。この愛の掟は、苦しむ人々のなかにイエズス御自身を仰ぎ見るように教えるとともに、神にてまします救い主がわれわれを愛したもうたように、兄弟たちを、自己の生命を放棄し、これを犠牲にするまで愛する義務を課するものである。
最後の審判の宣告において、至上の審判者が発するなぐさめにみちた言葉、しかしまた恐るべき言葉を、しばしば瞑想しなければならない。
「わが父に祝せられた人々よ、来るがよい。なぜなら、私が飢えたとき、あなたたちは食物をめぐんだからである。・・・まことに、あなたたちに言う。このもっとも小さい兄弟の一人になしたことは、みな、私になしたのであると」(マテオ25:34-40)。
しかしまた仰せられるにちがいない。
「呪われた人々よ、私のそばを去って、永遠の火に入るがよい。なぜなら、私が飢えたとき、食物をめぐまず、私が渇いたとき、飲物をめぐまなかったからである。・・・まことに、あなたたちに言う。この小さき者の一人になさなかったことは、私になさなかったのであると」(マテオ25:41-45)。
教皇ピオ11世「救治と手段」『ディヴィニ・レデンプトリス』1937年3月19日(岳野慶作訳、中央出版社、1959年、pp.109-110)
