主のご降誕、おめでとうございます
主のご降誕、おめでとうございます。昨日は上野教会でミサに与ってきました。昨年と比べるとコロナへの警戒も緩やかで、聖歌の斉唱も聞けましたし、ひさびさに心温まるミサに参加させて貰えました。

晴佐久神父様のお説教も久々に聞きましたが、今回はなかなか良いことを仰っていました。以下、その簡単な要約ですが
晴佐久神父様のお説教 (要約)
「天国に少しでも近づけた物を皆さんに見せる、伝える、それがミサであり、施しなんだ。先日は、うぐいす食堂を催し、50食分を生活困窮者に配った。配らないよりは、その日、彼らは寂しい思いをしないで済んだろう。下着などの要望もあり、準備した。
見えない物を伝えるのが信仰、施しやいたわりも今の世界では、あまり行われなくなっているもの。そうしたものを通じて、普段は見えない物、神を見てくれれば。」
そして、最後は「主の平和」の代わりに「御降誕、おめでとうございます」の挨拶を皆さんで交わしました。
ミサには犠牲等、人知を超えた意味があり、一部の保守派や伝統派の方ですと、表現が足らないと不満に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「ミサはこの世の天国」とする表現も、伝統カトリックに普通にあり、中世初期、フランク王国のクローヴィス王が洗礼を受けたときは、そのミサのあまりの荘厳さに心を打たれ「司教様、ここは天国でありますか?」と驚嘆したという話が残っています。ミサに天国を想起させる効果や意味があるのも疑いなく、私は特に不満には感じませんでした。

そして、何よりも、施しに熱心になっておられるのは素晴らしく、この一点では、現状、保守派は晴佐久神父様やそのファンたちに負けていると言えそうです。
うぐいすの会というのは上野教会の別称ですが、最近ではそれに「食堂」をつけて「うぐいす食堂」と題して、生活困窮者に定期的に施しをなさっているそうです。単に資金や人手があればできるという話でもなく、一体、どうやったら効率よくそれができるのか、ノウハウをミサ後に晴佐久神父様に聞いてきました。

晴佐久神父様のお説教も久々に聞きましたが、今回はなかなか良いことを仰っていました。以下、その簡単な要約ですが
晴佐久神父様のお説教 (要約)
「天国に少しでも近づけた物を皆さんに見せる、伝える、それがミサであり、施しなんだ。先日は、うぐいす食堂を催し、50食分を生活困窮者に配った。配らないよりは、その日、彼らは寂しい思いをしないで済んだろう。下着などの要望もあり、準備した。
見えない物を伝えるのが信仰、施しやいたわりも今の世界では、あまり行われなくなっているもの。そうしたものを通じて、普段は見えない物、神を見てくれれば。」
そして、最後は「主の平和」の代わりに「御降誕、おめでとうございます」の挨拶を皆さんで交わしました。
ミサには犠牲等、人知を超えた意味があり、一部の保守派や伝統派の方ですと、表現が足らないと不満に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「ミサはこの世の天国」とする表現も、伝統カトリックに普通にあり、中世初期、フランク王国のクローヴィス王が洗礼を受けたときは、そのミサのあまりの荘厳さに心を打たれ「司教様、ここは天国でありますか?」と驚嘆したという話が残っています。ミサに天国を想起させる効果や意味があるのも疑いなく、私は特に不満には感じませんでした。

そして、何よりも、施しに熱心になっておられるのは素晴らしく、この一点では、現状、保守派は晴佐久神父様やそのファンたちに負けていると言えそうです。
うぐいすの会というのは上野教会の別称ですが、最近ではそれに「食堂」をつけて「うぐいす食堂」と題して、生活困窮者に定期的に施しをなさっているそうです。単に資金や人手があればできるという話でもなく、一体、どうやったら効率よくそれができるのか、ノウハウをミサ後に晴佐久神父様に聞いてきました。