原爆投下時のカトリック女子修道院 永井隆『この子を残して』
原子爆弾がはじけたとき、この浦上のカトリック信者一万のうち八千人が死んだ。ここには、純心と常清の二つの女学校があった。いずれも女子修道会の経営するところで、校長以下教員は修道女がほとんどすべてであった。純心の生徒たちは、工場に動員されていたが、燃ゆる火の中で賛美歌を歌いつつ、次々と息絶え、灰になっていった。それはまったく古の神の祭壇に汚れなき子羊をささげ燃やして神の御意を和らげた燔祭さながらであった。ああ、第二次世界大戦の最後の日、長崎浦上の聖地に燃やされた大いなる燔祭よ!
燔祭の 炎の中に歌いつつ
白百合少女 燃えにけるかも
常清女学校のほうも同じ最期だった。ここでは二十七人の修道女教員が天に召された。その夜私は教室の小笹君たちを患者の手当てに出したが、その話によると、女学校から東のほう二百メートルの川端に真夜中幾人かの合唱するラテン語の賛美歌が続いたり絶えたり聞こえていたそうである。夜歩明けてみたら修道女がひとかたまりになって、冷たくなっていた。ゆうべの賛美歌はこの修道女たちが歌っていたのであろうか。それとも霊魂を迎えに降りてきた天使の群が歌っていたのではなかったろうか。そう思わずにはおられない、きよらかな死に顔が並んでいた。
永井隆『この子を残して』

燔祭の 炎の中に歌いつつ
白百合少女 燃えにけるかも
常清女学校のほうも同じ最期だった。ここでは二十七人の修道女教員が天に召された。その夜私は教室の小笹君たちを患者の手当てに出したが、その話によると、女学校から東のほう二百メートルの川端に真夜中幾人かの合唱するラテン語の賛美歌が続いたり絶えたり聞こえていたそうである。夜歩明けてみたら修道女がひとかたまりになって、冷たくなっていた。ゆうべの賛美歌はこの修道女たちが歌っていたのであろうか。それとも霊魂を迎えに降りてきた天使の群が歌っていたのではなかったろうか。そう思わずにはおられない、きよらかな死に顔が並んでいた。
永井隆『この子を残して』
