「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』マキシム・プイサン神父著、19、エジプトの青年の例
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
19、エジプトの青年の例

天主に服従へば永遠の幸福を受け、背けば永遠の罰を受ける。公教歴史に第三世紀の頃、エジプトの有名なるアレキサンドリアの学校に学んでいた二人の青年のことが伝えられていた。二人の青年は教会へいった、あたかも司祭は地獄の火の苦しみのことを説明しておられた。
一人の青年はその説教を聞いて大いに嘲けっていたが、他の一人の青年は非常に感動して後悔したばかりでなく、なお一層救霊の道を全うするために修士になった。
その後、間もなく、先に司祭の説教を嘲けった青年は、突然死んでしまった。天主は修士になった青年に先に死んだ青年があらわれることをお許しになった。「教会が地獄の火の苦しみのことを教えるのは真実であるが、ただ司祭らが之について解くところが余りに過少なるを恨みとするのである。」と申した。
これはもっともではあるけれども、地獄の火は超自然的性質をおびた不可解なもので、この世に於てはその実質をすら、よくわかる事が出来ないのであるから、到底充分に説明する事は出来ないのである。コリント前書一~九に「神が之を愛し奉る人々にそなえ給いし事、目も之を見ず、耳も之は聞かず、人の心にものぼらざりしを云云」とある如く、いくら司祭が力を尽くしたとて無駄である。もし仮に人が盛んに燃えている火の中に投ぜられ、その中に生きて居られるとして只の数分間でもその中で受けた苦しみをその通りあらわす事が出来ようか。決して出来ないのである。さすれば恐ろしき何ものにもくらべることの出来ぬ超自然的終りなき火をどうして説明する事が出来るであろうか。

19、エジプトの青年の例

天主に服従へば永遠の幸福を受け、背けば永遠の罰を受ける。公教歴史に第三世紀の頃、エジプトの有名なるアレキサンドリアの学校に学んでいた二人の青年のことが伝えられていた。二人の青年は教会へいった、あたかも司祭は地獄の火の苦しみのことを説明しておられた。
一人の青年はその説教を聞いて大いに嘲けっていたが、他の一人の青年は非常に感動して後悔したばかりでなく、なお一層救霊の道を全うするために修士になった。
その後、間もなく、先に司祭の説教を嘲けった青年は、突然死んでしまった。天主は修士になった青年に先に死んだ青年があらわれることをお許しになった。「教会が地獄の火の苦しみのことを教えるのは真実であるが、ただ司祭らが之について解くところが余りに過少なるを恨みとするのである。」と申した。
これはもっともではあるけれども、地獄の火は超自然的性質をおびた不可解なもので、この世に於てはその実質をすら、よくわかる事が出来ないのであるから、到底充分に説明する事は出来ないのである。コリント前書一~九に「神が之を愛し奉る人々にそなえ給いし事、目も之を見ず、耳も之は聞かず、人の心にものぼらざりしを云云」とある如く、いくら司祭が力を尽くしたとて無駄である。もし仮に人が盛んに燃えている火の中に投ぜられ、その中に生きて居られるとして只の数分間でもその中で受けた苦しみをその通りあらわす事が出来ようか。決して出来ないのである。さすれば恐ろしき何ものにもくらべることの出来ぬ超自然的終りなき火をどうして説明する事が出来るであろうか。
