地獄が永遠な理由「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』マキシム・プイサン神父

マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
31.地獄が永遠な理由
地獄にては罪と罪人と一致する。かの地に落ちる者は、皆、大罪をもっている故、天主の美善、美徳を拝すは、永遠にかなわぬだけが同一であって、各自の悪の程度によって限りなき苦痛の程度は各自異ってある。
さればいかなる方面より見ても、天主の正義は完全である。地獄が永遠でなければ、天国も同じく永遠でないと云えるものであり天国、地獄、とも無くなるとすれば霊魂不滅もなく天主の存在も無意味なものとなれば自己の存在までも原因のない結果になる。これによって地獄を信ぜぬ者は自分自身すらも認めぬようになって、何をも認めぬという結論となる。
罪を犯す者は驕悪にして、かつ誤解している。聖書に記された罪人というものは意力の薄弱な人のことではなく悪心をもつ者、悔改めをせず、心が悪に傾き、良心のとがめを否み、常に悪事をなし、天主が存在せぬ状態に生活し、絶えず、キリストに反抗する者を指すのである。不善を自己が本業の如く、あえてする者を指すのである。
彼らについて、聖グレゴリオは
「かくの如き罪人は生在中、いつも罪を犯す、もしいつまでも存命せばいつまでも罪を犯す。なお罪を犯すために、いつまでも彼らは生存したいのである。常に罪を犯すことを希望せしにより瞑目後、天主の正義により、いつも罰を受くる」と云っている。
慈悲深き天主は罪を犯せし意志薄弱の者には悔改の御恵を与え給う。彼らは罪を犯しても、全く天主に背いたのではない、一時天主を離れても心眼は離れておらぬ「我れに来たる者を捨てじ」と仰せられた天主は、憐れむべき弱意者に対し、聖心のうちに適当なる聖寵を起し給うてその霊魂を地獄の永遠の苦しみより、許して下さるであろう。
現世の法律や裁判官は過誤る例が随分あるが、永遠の裁判は万物の本源、全知全能の法官に在しますが故、寸毫の誤謬もない、その律法、律令は完全無欠である。
