常に審判の日を黙想せよ「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』

マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
39.常に審判の日を黙想せよ
諸聖人の通功と天主が過去現在をかえりみ給うこと、いと深し
よって耐え忍んだ銀難辛苦や、祈願の累功を保留し給うのみか、まだ実行せぬ善業、苦業をも予知し給いて、未来を現在の如く認め給うて恩寵を賜わるからである。然ればこの世を逝りし者の救霊上の祈願、苦業、善業は徒労ではない。我れらにとって感すべき深い尊い愛ではないか。
しかるに、日常に於いて、悪行為を敢てし、気まま勝手に生活し、無害で無限の愛を得んとするは火災の中から、水を求めようとする業で、百の中、九十九にも相当らぬ運命に憧がるる愚者である。大切な救霊をゆるがせにし、不安な方法をとるは、健全な精神をもつ者とは決して云われぬ。
思えば永遠と云う大事件ではないか。永遠は幸福なるか、禍なるかという大問題ではないか!
今、死ぬ準備が出来ているであろうか? もはや、すべての事物に訣別して天主の裁判に出頭られるだけの準備が出来ているであろうか。自分の意にやましい所はないか・・・。かの多い時間を、かの五十年、六十年の長い歳月を、とほぞを噛んで後悔する所がないであろうか。
人、呼吸、吹き尽して、残骸は、大理石の如く、旦、堅く、旦冷かなり。其霊や、直に審判に付せられて、瞬間の猶予なし。
義人は其功によりて、天使に擁せられ臨終に唱名せし聖母マリア、聖ヨゼフの慈顔を拝し、慈主の温言の宣告を喜ぶ。
悪人は其罪によりて「我を離れよ」との厳命の下、すなわち悪魔の鉄鎖に繋縛せられて、堕獄す。
思え、而して選べ、二途の中いずれかを。之を思い、之を選ぶは、現下にあり、敢えて、跡踏する勿れ。死生、間髪を容れざるなり。