カトリック情報(緊急避難ブログ)

スマホからアクセスの方は、画面やや下までスクロールし、「カテゴリ」からコンテンツを読んで下さい。目次として機能します。

常に悪い生き方の人が死の直前に回心して救われることは、あり得るか?

カトリック

(命題)罪深い生き方をしていた人が、死の直前に回心して救われることはあり得るか?

(解答)回心を死の直前まで引き延ばした理由にもよりますが、わざと引き延ばした場合は、難しいでしょう。理論上(教理上)は救われることが可能ですが、実際には、殆ど無理でしょう。なぜなら、告解にせよ、完全な痛悔にせよ、本心で赦しを願わなければ、それは無効になります。ところで、わざと死の直前まで回心を引き延ばして罪深い生き方を続けた時点で、回心などは本気で願っていないわけで、本気で回心を願ってはいないのですから、臨終の場でも表層的な告解しかできないでしょう。表層的な痛悔しか、できないでしょう。

 本心から回心を願っているならば、臨終より前に生き方を変えようと、手を尽くしているはずです。死の直前に告解すればいいからと、それまで罪な生活を敢えて送る人が、救いに与れるとは、殆ど考えにくいです。それは、理論上は可能なのですが、実際には殆ど無理でしょう。

 文化的な要因等から、キリスト教に到達するのが遅れた場合などは、別かもしれません。敢えて引き延ばしたのではなく、精一杯真面目に生きていたけれども、という場合には、お情けがあるでしょう。でも、いわゆる「天国泥棒」に頼るのはとても危険ですし、それを狙って、失敗した人も多いです。

 ちなみに、聖ヒエロニムスはこう言っています。「その生活が常に悪かった100万人の人々の中から、あなたは免償に値する人をかろうじて一人見出すであろう」回心を死の瞬間まで、わざと遅らせるというのは、そのくらいに危険で、不合理な生き方なのです。

 とはいえ、イエズス様と共に磔けられた、あの十字架の死刑囚二人のうち、一人は死の直前に回心をして救われています。全くないと言い切ってしまうのは、教えにも愛にも、背くことになるのでしょう。しかし、生前からそれに期待して、健全な生き方を怠るのは、非常に危険だということです。
×

非ログインユーザーとして返信する