カトリック情報(緊急避難ブログ)

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永井隆「いと小さきもの」

カトリック
永井隆「いと小さきもの」(著者はカトリックの医師・医学者、被曝)

 石だだみ道を七百メートルも行くと、フランス風煉瓦造りの三階建の美しい修道院に至る。幼きイエズス会の修道院である。日本に渡り、ここに祈りと労働と教育の仕事を始めてから七十余年になるという。今ここには日本人の修道女だけがいる。

 三階の窓から漏れる歌に耳を傾けよう。「マリアちゃま、お手々を合わせ、いつの日も、あたちのために、祈りくだーさる・・・」

 歌っている女の子は三つか、せいぜい四つか? まだ舌がよくまわらぬらしい。歌に合わせて幼い子らが何人か遊戯をしているらしい。修道女のやさしい声、きゃっきゃつよろこび笑う声。やがて、その次の部屋の窓からワーンと大声で泣き出すと、修道女が、アラアラ、おしっこネ、とばたばたする音。

 その隣の部屋では公教要理のお話が始まっているらしい、大きな子供と修道女との問答。

「神とは、どのようなお方でありますか?」

「はい、神とは、天地万物をつくり、またこれをつかさどりたもうかぎりなく完全な霊であります」

「すると、その霊とはなんでありますか?」

 違った女の子の声で、

「はい、霊とは五官には感じられないが、知恵と意志とをそなえたものであります」

「神は人のことを特別におはからいになりますか?」

「はい、神は人の生命・健康・衣食住をはじめ、霊魂と肉身とにかかわるすべてのことを特別におはからいになります。これを神の摂理と申します」

「そうですね、すべての世の中の出来事は、どうすることもできない運命によるものではなく、神の摂理によって導かれるものであります」

「それでは、神は人のことを特別におはからいになるのに、なぜ禍をお除きになりませんの?」と子供が聞いている。

「禍は試練となり、罪のつぐないとなり、戒めとなり、後の世の幸福のもとになるからであります」

「なぜ禍が後の世の幸福となりますの?」孤児の問いは切実である。

「ーわがために人びとなんじらをのろい、かつ迫害し、かつ偽りて、なんじらに就きてあらゆる悪声を放たんとき、なんじらさいわいなるかな、歓び躍れ、そは天におけるなんじらの報いはなはだ多かるぺければなり。これは有名なイエズスの山上の説教のおしまいのことばです。さいわいなるかな、歓び躍れ!天国のごほうびはどんなに大きいでしょう」

 目を輝かして聞いている子供たちが見えるようだ。

永井隆『この子を残して』
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