(ボネ神父伝6)◆2-2、小さな越境者
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、6
第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教
◆2-2、小さな越境者
少しはなれて、ちょうど村の中心にあたるヅ河のほとりには、古い教会の片塔がそびえています。それは、13世紀ごろのゴシック建築で、ベネディクト会の修士たちが建てた修道院つきの聖堂だったといわれています。ひじょうにいたんではいましたが、塔の両がわには美しい回廊が残っており、とくに聖堂の内陣、すなわち、聖職者の席では、大きなひじかけいすに、かの修士たちが一つ一つきざんでいったという、そぼくな、1日約聖書の物語をあらわす彫刻がはどこされています。
それで、昼間は、道ゆく人々が、古い昔をしのぶよすがにと、たびたび、ここにたち寄ってゆきました。でも、おとずれる者のとだえたこの夜ふけには、気味の悪いはど深い静寂につつまれているのです。
あれから、もうどれほどの時がたっていたでしょう?
「ワー、ワー」
急に塔の下ににぎやかな歓声があがりました。さっきの少年たちが、大好物、砂糖を買って、まるで凱旋将軍のように、意気ようようとして帰ってきたのです。
「わしの子どものころはじゃ、スイスは税金がなかったじゃ。国境をこえておもしろかったから買いに行ったものじゃ、わんばくじゃったよ!」
同じような、ある晴れた夏の夜でした。白いあごひげの神父さまが、青年たちを集めて、遠い故郷の患い出ばなしを聞かせました。それから数年たったあとで、みんなが集まって神父さまの思い出を書きました。かれらは、あのやさしい父のような司祭のなかには、強い鋼鉄の芯があったと思いましたが、それはまったく、道理のあることでした。なぜなら、献身的で、他人に愛深いということは、戦場の兵士にも劣らぬ勇気、すなわち、おのれに対して戦いをいどみうる強さをもっていることの証明だからです。馬の乳を飲んだほど野性的で、わんぱくなマキシム君の勇気は、さいわいに、健康な成長をとげつつ、もっとも偉大な勇気である自己支配の獲得へとむかっていったのです。