キリスト者の模範 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。イエス様の生き方を見習うことはとても価値があります。使徒ヨハネやパウロの生き方に倣うことも価値があります。同じように、彼らの生き様は私たちの信仰生活の参考になるものです。フェイスブックの某グループにも投稿中です。

(ボネ神父伝11)◆4-2、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、11


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教




 しかしまもなく、神父さまのこんな感傷も、遠くかすんで空と直接交わっていた水平線に一筋の線がひかれ、それがしだいに大きく伸びていって、やがて空と海をへだてる陸となってあらわれてきたころには、あとかたもなく消え去ってしまいました。


 かれは、使徒職への第一歩をぶみだす荒々しい興奮に身をまかせながら、一刻一刻と近づいてくるその南の地を待ちかね、甲板の上に立ちつくしたのです。


 それは、1905年、ちょうど日露戦争のはじまる1年前で、この辺都な南の果てにも、やはり戦雲急をつげる切迫したふんい気がみなぎっていました。当時の大島は、継子のように、まったく本州の文明からとり残されたままで、まだいたって未開な土地でありました。住民はほとんど裸足で、やけつくように熱い土の上をあるいていたのです。どんなに貧しいといっても現代の常識では、わたしたちは一文なしで暮す人を想像することができませんが、かれらは、一銭もお金のいらぬ物々交換の生活をしていたのです。それで何か欲しい物があると、収獲したばかりの米や野菜をかついで、また海に近いところでは魚をもって、町へ出かけて行きました。しかし、その収獲さえじゅうぶんではなかったのです。


 便利な肥料のあることを知らぬ百姓たちは、山に行ってソテツを切ってくると、畑にばらまき、とげが足を血で染めるのもかまわず、これを土のなかにふみこんではこやし代りにしていました。


 こうした未開の土地では迷信は、宿命的です。そこには貧しさのほかに、どうにもならない生活の暗さもありました。毎年破壊に旅立つ台風が、いつもきまってここに誕生するからです。すなわち、その絶えまのない自然との長い戦いは、人々のなかに絶えず不安にさいなまれる暗い心を育ててきたので、もはやかれらは、あらゆる未知のものを、恐れなしには待ちうけることができなくなっていました。


 そしてこの不安な未来にたいする暗い期待こそ迷信の最適の住みかで、また文化という新しさにたいする大きな障害でもあったのです。そのうえ、ここでは、まだ禁教時代の影響が抜けきれず、キリシタンは、へびのようにきらわれていました。ボネ神父さまが大島にこられたのは、ざっとこんな状況のもとだったのです。

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