(ボネ神父伝20)司祭の苦労
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、20
◆4-11、最初の布教地・奄美大島
こんなことばかり述べていますと、神父さまの布教歴史は、まるでかれの痛快な武勇伝をきくような感じをうけますが、その日常の生活には、人々の想像もおよぼぬ苦みがかくれていました。
それは、天にましますおん父にのみささげられた秘密で、だれも知ることのできないものです。
しかしひじょうに密度の高いフランスの文明と、伝道にゆけば木の上から司祭めがけておちてくるハブ、信者の家にはいろうとすれば、台風をさける低い草屋根からもぶらさがってくるハブ、そしてあるときは、掃除のためかかえあげた戸棚の下にまでとぐろを巻いているハズあの激しい猛毒をもった魔物の住む、そして不潔と無理解と貧と熱病に苦しむ当時のこんな大島を、考えあわせてみればいいのです。神父さまのかくれた苦労の小さな一端がうかがわれるではありませんか。
しかし、かれの親しかった伝道士がいったように、神父さまは、あらゆる困難によって誘われる弱さや女々しい感傷を、愛の強いひと打ちで、いさぎよく投げ捨ててしまったのです。
「海ゆかば、みつくかばね、山ゆかば、草むすかはね大君の辺にこそ死なめ、かえりみはせじ」。
あの美しい大和歌を、もし神父さまが知っていたとしたら、今度は天のみあるじにむかって、どれほど熱烈に歌ったことでしょう!
きょうもカンカン日に照りっけられながら、山をこえ谷をわたって歩いてゆきます。信者だろうと、未信者だろうとおかまいなしに、真理に耳をかす神の子を集めにゆきました。
もし山の上で日が暮れて、泊まる家がなかったら、なあに、かまうもんかといって、石のまくらで休みました。
それは、キリストさまの伝道に似ていると思ったので、神父さまは、急にうれしくなりました。
昔、アッシジの心やさしい聖人がいったように、兄弟大蛇も、姉妹サソリも、仲よくなって、土のべッドで休みました。流れ星が一つ、すっと青白い尾をひいて、その上を飛んで消えました。