(ボネ神父伝19)神藪を焼き払う
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、19
◆4-10、最初の布教地・奄美大島
「みなさん、死んでゆく人をごらんなさい。死人は未来をとりあげられてしまいます。そのときかぎり、進歩することができなくなるのです。あなたたちも、古い習慣や迷信のなかにとじこもって、新しい生活をしないなら、やはり死んだ人と同じです。なるほど、しゃべったり、動いたり、食べたりしていますが、それは人間として生きているのではありません。動物もそんなふうに生きてゆけます。だからみなさん、まちがいだらけの古い習慣や迷信を、くさった魚のように捨ててください。あなたたちは、いつも暗いあらし雲の向こうに晴空を待っているではありませんか。楽な暮しのできる文明も、暗い迷信やまちがった習慣の向こうにあるのです。迷信ははずかしい無知です。迷信を捨てましょう!迷信がこの大島の文化を妨げているのです。みなさん、迷信をほろぼそうではありませんか!迷信こそ、みなさんの第一の敵です」。
村のまつりで人々のたくさん集まる広場に立つと、ボネ神父さまは、あの偉大なお腹から出てくる大音声でこんな辻説教をはじめました。年に一度の晴着をきた娘たちも青年も、いpっぱいきげんのおじさん仲間も、また老人や子どもたちまでが、むずかしい理論よりも、そのわれがねのような大音声につられて集まってきました。
「神父さん、あんたがた白人がわれわれを野蛮人だと思っていることはよくわかっていますがね、そのわれわれの迷信とは、いったい何のこったね?」一ひとりのもの好きな男が、からかい半分に尋ねました。
「あなたたちの考えていることは、ほとんど迷信です。しかし、そのなかでいちばんひどいのは神でないものを神にしていることです。たとえば、おろかにもあなたたちは、木と雑草と土の塊にすぎないやぶを、神だといっておそれています。野獣たちでさえ、平気で住むことのできるあそこへ、あなたたちは不便な回り道をしてまで、近寄ることができないではありませんか。あなたたちは、野獣より劣ったものですか。小鳥たちのほうが、ずっと賢明です。かれらは、そんなばからしい迷信をっくりませんから。どこででも自由に楽しくのびのびと暮しています」。
こんな調子で島の人々をとがめていた神父さまは、じっは、世界のすみからすみまで巣くっているもっと大きな迷信のことを考えていました。すなわちそれは、人々の目から神をおおう安っぽい人造品の思想や主義で、兄弟の血を流すまで人々を相反目させずにはおかない唯物論、ファッシズム帝国主義、人種差別のようなものからごく個人的な拝金主義、快楽主義、名誉至上主義にいたるものでした。
「なに!あの神藪が、ただの藪だと!とんでもない。そんなことぬかすと、今に神罰てきめんだぞ!」
年とった神宮がカンカンにおこって反ばくしましたが、神父さまは、おどろきおそれる群衆をしり目に、伝道士をっれてかの藪へゆくと、一挙にこれを焼きはらってしまいました。
それにしても、人々の心配していたたたりは、いっこうにあらわれず、神父さまは、政府から迷信打破のほうびとして、この藪をただでもらいうけ、一年じゅう不足しないだけの薪をもうけました。