(ボネ神父伝22) ◆1-2、お葬式
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、22
第2部 回想への巡礼 療友のつづった思い出の記をたずねて
◆1-2、お葬式
まもなく、聖堂のなかに、しずしずと運ばれてきた棺は、まるで父のまえにすわらされたむすこのように、主の祭壇のまえにすえられました。気がつくと、棺の足もとに、黒いリボンで飾られた額のなかから、元気そうな神父さまの顔が、慈愛にあふれるまなざしで、わたしたちをじっとみつめておられました。それは清く澄んで、若さと生命にみちたお目でしたが、おっむは、すっかり禿げあがり、あごには、ふさふさとした真白なひげが、やさしいお顔に慈父の威厳をそえ、額に深くきざまれたしわは、はげしい使徒職のため、いかにかれがあの美しい丈夫なからだを使いふるしたかを物語っているように思われました。
内陣には、かれの労をねぎらい、その光栄に一段とかがやきを添えるかのように、大ぜいの司祭にまじって、数人の司教さまが、宝石の指輪をはめ、緋色の帯をたれ、頭に黄金の帽子をいただいた美しい正装姿で、人目をひきっけていました。
そのほか、各地から集まった修道士、修道女など、聖堂は、これらの聖職者だけでも、すでに身動きができないほどで、明け放たれたとびらの外には、信徒のむればかりか、未信者までも、ミサ聖祭の聖歌が届きかねるほど遠くまであふれていました。
しかし、これほどのおびただしい群衆にもかかわらず、水をうったような静けさのなかで、いとも荘厳な死者ミサがはじめられました。司式は、神父さまとは兄弟も同然だったボア神父さまで、聖歌隊のうたうレクイエムの荘重な聖歌が、ボネ神父さまの無邪気な童心をゆすぶりながら、天国での平和な眠りをさそう子守歌のようにきこえます。そして、そこに参列した人々の心に、悲しみではなく、深い平安と、よろこびを与え、その偉大な最後の勝利は、熱烈なあこがれを呼びさましつつ、群衆の心をむち打つかのようにみえました。
さて、小さな越境者のところで、ちょっともらしたことがありましたが、お葬式のあとで、大ぜいの青年たちが集まって、なつかしい慈父の思い出をっづろうと約束しました。そして、まもなく神父さまのこ生涯の後半をいうどる使徒職が、消えない形見としてこの世に残ることになったのです。
神の似姿、神の現存を映す生きた鏡だった神父さまの存在は、ほとんどこのなかに描き出されています。なぜなら、この手記は、神父さまにふれ、その影響をうけ、かれの愛と、信仰にはぐくまれた人々によって書かれていて、これらの青年たちは、神父さまの魂に答える山びこのように、愛師の心をよく理解していたからです。