(ボネ神父伝2) 第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、2
第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教
◆、1 馬の乳
「お馬、お乳ちょうだい!」
力いっぱい走ってきて、のどがかわいたので、坊やは雌馬の足のあいだにもぐりこんでゆきました。
「ええ、いいとも坊や、おなかいっぱいおあがり」。
雌馬は、坊やが乳をのみおわるまで静かに待っていました。すてきにおいしい乳でした。
「お馬、ありがとう!」
坊やは、馬の鼻面をなでようと、いっしょうけんめい背のびしました。雌馬は、好意を感じてか、ヒヒンと高くいななくと、坊やのまえに長い顔をすりよせてきました。それは、まるで、「どういたしまして、坊や!」とでも、いっているかのように見えました。
坊やの名は、マキシム・ボネ、健康そうな赤味をおびた額の下には、無邪気なまなざしが満足そうにほほえんでいます。そのうえ、まるまるとふとり、あかるい褐色のかみの毛が耳まで波うちながら、よくととのった顔を形よくふちどっています。ヅ河にうつる星よりも美しい、かがやく目をもった子どもです。
あたりは、目にしみるような青草が、春の陽光のなかで夢のようにけむり、もし、だれかきて、その光景をみていたとしたら、まったく童話の世界にでもいるように感じたことでしょう。
ここは、スイスの国境にあるポンタリエ市にほど遠からぬモンブノアという村で、パリから、およそ450キロの所にあたります。
この地方は、ジニラ高原とよはれ、海抜約1,OOOメートルの高さにあって、夏も暑さ知らずの別天地、高原の谷間をぬって流れるすみきったヅ河が、そのかなたにこんもりしげった森をうっして、深淵を思わせるほど青々としています。そして、そこはもうスイスの領土で、まったく、呼べば答えるほどの距離にあります。
うねうねと波うつ高原には、ところどころに林がありそれを包んで絹のように柔らかな牧草のはえた牧場が、延々とつづいています。マキシム坊やの家は、大きな牧場で、羊や牛や、馬がたくさん、むれをなして草を食べていました。日光にめぐまれたこの地方では、牧草の色がとくべつあざやかで、また豊富なのです。それで、わたしたち日本人には想像もできないほどの乳が供給され、それはちょうどこの土地の人々のそぼくな人情のように甘美な味がしました。