キリスト者の模範 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。イエス様の生き方を見習うことはとても価値があります。使徒ヨハネやパウロの生き方に倣うことも価値があります。同じように、彼らの生き様は私たちの信仰生活の参考になるものです。フェイスブックの某グループにも投稿中です。

(ボネ神父伝18)迷信の打破

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、18


◆4-9、最初の布教地・奄美大島


 しかし、まだボネ神父さまの前には、大きな問題がのこっています。それは、迷信と、まことの信仰との区別をあきらかにすることです。


 この世にはあまりにもたくさんの神々がひしめきあっています。しかも、自分こそは真実の神であるといいながら、せり市場のように自分を売りたがっているのです。かれらは買い手である信者を獲得するため、ひじょうにうまい商法を用います。あるものは、奇を好む人間の心理をできるだけ満足させようとして、魔術的な、あるいは神秘的とさえいえるふんい気をっくり、また、あるものは、その教義のなかに、いくらかの現世的な利益や、精神科学などをまじえておきますが、もっと巧妙なものになると、まじめな教養ある人々をひきつけるため、厳格な道徳論を信仰の中心においていることがあります。


 それゆえ、もし人がまったき信頼と孝愛の心をもって神との人格的なまじわりを望まないかぎり、信仰は、魔術や、もっとも利己的なおかげ信心、あるいは一個の道徳論へだらくするか、こっけいな迷信のとりこになってしまうおそれがあるのです。


 でも、ここでは、まず幾千年と積み重ねられた迷信を打破しなければなりませんでした。そこでボネ神父さまは、ひじょうに思い切った勇猛心の実行をもって、全島民をアッといわせたのです。


 そのころ、島には住民におそれられている神藪というものがありました。その木の枝にちょっと手をふれただけでも、おそろしいたたりがあるというので、だれもそばを通るものがなかったのです。したがって、このあたりは人航がなく、狐狸や、カラスや大蛇が集まり、凄惨なまでの静寂の住みかで、深い神秘をかもしだしていました。


「みなさん、死んでゆく人をごらんなさい。死人は未来をとりあげられてしまいます。そのときかぎり、進歩することができなくなるのです。あなたたちも、古い習慣や迷信のなかにとじこもって、新しい生活をしないなら、やはり死んだ人と同じです。なるほど、しゃべったり、動いたり、食べたりしていますが、それは人間として生きているのではありません。動物もそんなふうに生きてゆけます。だからみなさん、まちがいだらけの古い習慣や迷信を、くさった魚のように捨ててください。あなたたちは、いつも暗いあらし雲の向こうに晴空を待っているではありませんか。楽な暮しのできる文明も、暗い迷信やまちがった習慣の向こうにあるのです。迷信ははずかしい無知です。迷信を捨てましょう!迷信がこの大島の文化を妨げているのです。みなさん、迷信をほろぼそうではありませんか!迷信こそ、みなさんの第一の敵です」。

(ボネ神父伝17)悪霊のわざ

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、17


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4-8、最初の布教地・奄美大島


 このように悪魔もやはり神の権力のしたにあるので、かれらがいかにじゃまをするつもりでも、かえってそれが神のご計画の道具となってしまいます。こうして悪魔までも、その意志とは反対に、救いに利用されているという事実が、ボネ神父さまの宣教のなかには、まだいくつでも伝わっています。その一つとして、かれと仲のよかったある神父さまが、つぎのような話をしてくださいました。


 大島には、ボネ神父さまのほかになお数人の宣教師がおとずれて、熱心に布教をしていましたが、ボネ神父さまの特に親しい友人としてF神父さまが、山一つへだてた向こうの教会で働くこととなりました。


 あるとき、宣教師仲間のJ司祭が過労のため急に病にたおれたので、ボネ神父さまは、F神父さまと交代でかれにご聖体をさずけに行っていました。かれの番だったある金曜日の朝、神父さまは、山の上でひょっこりF神父さまに出あったのです。F神父さまは、いつものようにまっすぐかれをみませんでしたが、たった今、自分がJ司祭にご聖体をさずけてきたところだ、といいました。そしてずるそうなほほえみを浮べると、暑いから帰っていっしょにビールでも飲もうではないか、と誘ったのです。


 しかし、心のやさしいボネ神父さまは、「せっかくここまできたから」といって断り、こんどは病人をなぐさめるために、汗をふきふき山をおりてJ司祭の家にゆきました。しかし不思議なことに、J神父さまは、だれも、司祭はたずねてこなかったといったのです。このときボネ神父さまは、ハッと気がついて、山の上で出あったF神父さまは、悪魔のしわざだったとさとりました。


 この事件によって、みえない世界の現実を、まざまざと感じたかれの心は、火のように燃えあがり、宣教への熱望はいっそう高まってゆくばかりでした。


 また、ある時は、家のなかに始終小石がふってきて悩まされるからと、未信者の家から祈りを頼まれたこともありました。神父さまがその家に行ってみると、さすがにそのときは悪魔もいたずらをしませんでしたが、どこからともなく降ってくるというその石は、たくさん家のなかにおちていました。神父さまは、この家に十字架を置いて帰りましたが、それきり、この不思議な現象はとまり、その家族みな、まことの神を信ずるようになりました。


 しかし、まだボネ神父さまの前には、大きな問題がのこっています。それは、迷信と、まことの信仰との区別をあきらかにすることです。

(ボネ神父伝16)◆4-7、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、16


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4-7、最初の布教地・奄美大島


「主よ、もしあなたがこの島の人たちをおあわれみになって、わたしをここへおつかわしになられたのでございましたら、どうぞ、そのしるしとして、この人から悪魔を追いださせてください。でも、しるしは、けっしてわたしのためではありません。かれらがあなたのみわざをみて信ずることができるためでございます」。


 熱心で純粋な祈りが、どうしてデリケートな神のみ心を動かさずにおきましょう。


 祈ったあとで神父さまは、青年のほうへ向きなおると今では絶望的にあれ狂う悪魔に声高く命じました。


「わたしは、キリストのみ名によってなんじに命じるサタン、この人から出よ」。


 それは、みながアッと息をのんだほど大きな声でしたが、その声をきくと、くだんの青年は、ろうのように蒼白になり、突然地にたおれふして、死んだようになりました。


 家族のものは、死んだのではないかと心配しましたが、神父さまは、準備した水をとって、青年の上にかがむと「わたしは、父と子と聖霊とのみ名によってあなたを洗う」といいながら、静かに洗礼をさずけました。神的生命をそそぎながら、青白いひたいのうえを流れて一滴二滴祝された水が地におちてゆきました。そして、みんなの真剣な視線を集めたまま、息づまるような数秒間がすぎましたが、やがて司祭がていねいにそのしずくをふきとると、白いハンカチの下から赤い血の色のさしはじめた、いきいきとした顔があらわれてきたのです。


 青年は、長い夢からさめた人のように、パッと目をひらくと、元気よく立ちあがり、不思議そうにあたりを見まわしました。ああ!このときには、もう、まったく以前のおとなしい善良な青年になっていました。その後H家の人々が、ひとり残らず熱心な求道者となったことは、いうまでもありません。まもなくかれらは、こぞって受洗し、その後大島教会の重要な親石となりました。


 また、この事実を知った人々が少しずつ教会をおとずれるようになり、さしも困難をきわめた伝道も、その糸口をえて、神父さまの苦労もようやく実りはじめることとなりました。なぜなら、百聞は一見にしかずといわれているように、しるしを求める人々にとって、これは神の存在を認めるための、力強い、ひじょうに楽な証明だからです。もし奇跡を魔術か睡眠術だといって笑いたくなったら、この宇宙の立法者たる神のみ自由に自然の法則を変えることに注意しましょう。


 このように悪魔もやはり神の権力のしたにあるので、かれらがいかにじゃまをするつもりでも、かえってそれが神のご計画の道具となってしまいます。こうして悪魔までも、その意志とは反対に、救いに利用されているという事実が、ボネ神父さまの宣教のなかには、まだいくつでも伝わっています。

(ボネ神父伝15)◆4-6、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、15


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4-6、最初の布教地・奄美大島


 ふたりは、歩を早めながら歩いているうちに、部落から100メートルとは離れていない一軒の家の前にきました。でも、不思議なことには、まだ宵の口だというのにこの家は雨戸をすっかりしめきっていました。なかからは、戸のすきまを通して、ほそぼそとしたあかりがもれていましたが、ふたりがその前に立つと、案内もこわない前に急に奥から人の近づいてくる気配がしました。やがてガチャガチャと鎖をはずす音や、かぎでもねじ切るようなそうそうしい音がしばらくつづくと、うちがわから荒々しく戸が開かれたのです。そして、どっと流れ出た光の洪水のなかからあらわれたのは、頭髪をやぶのようにかき乱した22-23才ぐらいの青年で、一目その姿を見たとたん、神父さまは、なぜかぞうっとしました。


 うつろな目で司祭をみていたその人も、つぎの瞬間、さもおどろいたように、2、3歩うしろへさがると、たちまち飛びあがって、「わたしと、あなたに何のかかわりがありましょう、ここは、あなたのおいでになる所ではありません。どうぞわたしを苦しめないで帰ってください。あなたをみていると、妬ましくでならない」と叫び立てました。かれは、ひじょうにおびえているようにみえましたが、そのくせ目は気味の悪くなるほど激しい憎しみに燃えているのです。


 この時叫びをきいて奥からかけっけた家族のものが、四方八方から青年を押えつけましたが、伝道師から一夜の宿をこわれると、かれらは、さも困ったように顔をみあわせました。


「お泊めするのは、お安いことでございますが、お恥ずかしいことに、むすこがごらんのような始末で、お客さまにもご迷惑がかかるかと存じますので・・・」。


 青年の父親らしい人が気の毒そうに断りました。すると、押えられていた青年が手をふりきって、司祭の前にひざまずき、


「このかたは、生きるまことの神、イエズス・キリストの代理者である」


と、声高らかに叫んだかと思うと、急におとなしくなり、今にも絶えいらんばかりの声で、哀願しました、


「どうぞわたしを追いださなLいでください。もう少しこのまま放って置いてください!」


 青年は、黙々としてじっと自分をにらんでいる司祭をみると、とうてい望みがかなえられそうもないのを察して、ふたたび荒々しい態度にもどり、あらゆることをしゃべりはじめましたが、そのきたないこと!人々は、耐えられなくなって、思わず耳をふさいでしまいました。


 このとき神父さまは、はじめて口をひらきました。


「いつからこのようになりましたか?」


「もうひと月も前からでございます。以前はいたっておとなしいむすこでしたが、どうしたわけか急に変ってしまいました。なんだかおそろしくカが強くなっていまして、あばれだすと、何人かかっても手におえないのでございます。そのうえ、いつ飛びだすかわかりませんので、こうしていつも戸をしめて、家のなかにとじこめています」。


 父親の説明で神父さまは、青年が悪魔つきであることを、もはや疑うことができませんでした。


(悪魔という名が出てきましたので、なんだ、これも幼稚なおとぎぱなしではないかと、お考えになるかたがいましたら、これはフィクションではありません。また.わたしたちの人間性そのものftついて考えてみても、肉体のメカニズム的なものの向こうに、これを動かしている能動的で非物質的なもの、すなわち霊の存在につき当らないわけにはまいりません。とすれば純霊的な存在を否定する理由が、どこにあるでしょうか。キリスト教では、神は天地創造に先だって、おおくの美しい霊をおつくりになったことを、また、そのなかのあるものは、霊を霊たらしめている自由意志の濫用によって善を失い、悪魔になったのだと、教えているのです。)


 神父さまは、むすこは狂人ではない、悪魔につかれているのだといい、このことを、かれがキリストのみ名を知っており、司祭である自分をおそれている事実で証明しました。そのうえ、天地創造から始めて、キリストのご死去にいたる救いについても、なおくわしく説明したのです。


 父親は、ききおわるとただちに信じました。そして、「どうぞ、わたしたちをあわれんでください。まことの神の力で助けてください!」と叫びました。ボネ神父さまは、父親のすなおな信仰に感嘆しました。そして、たとえからしだねほどの信仰でも、山を移し変える力があるとおおせになったキリストのみことばを思いだしたのです。


 そのときの神父さまの心には、ほんのわずかの疑惑も残ってはいませんでした。かれは心にあふれる甘美な天的愛にほほえみながら、父親に、水とローソクと小さな机をもってくるように命じましたが、やがて机の上に火がともされ、祝された水がととのえられると、神父さまは、静かに祈りました。

(ボネ神父伝14)◆4-5、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、14


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4-5、最初の布教地・奄美大島


 かれの名はKといい、そののち、神父さまとは肉身にもまさる親しみのうちに18年間苦楽を共にしました。神父さまは、かれをわがむすこと呼び、嫁を迎えてやり、その多くの子どもたちを、孫のようにいっくしみました。


 しかし今は、まだ大島赴任後、4か月とはたっていないのです。ある日、神父さまは、伝道士となったこのK青年をつれて、徒歩で、効果のはかばかしくない伝道旅行にでかけていきましたが、秋の日は、つるべおとしに暮れてゆきました。そこで、とある山をこえて、ようやくふもとの部落にたどりっいtときには、太陽はすでにかなたの空と海へ真赤な火の粉をふりまきながら、沈みかけていたのです。


「神父さま、夜の道はひじょうにあぶのうございますももしよかったら、わたしの知人のH家がこの少し先にありますから、泊めていただきましょうか?」


「それはありがたい、では、たのんでみてください」。


 ふたりは、歩を早めながら歩いているうちに、部落から100メートルとは離れていない一軒の家の前にきました。でも、不思議なことには、まだ宵の口だというのにこの家は雨戸をすっかりしめきっていました。なかからは、戸のすきまを通して、ほそぼそとしたあかりがもれていましたが、ふたりがその前に立つと、案内もこわない前に急に奥から人の近づいてくる気配がしました。やがてガチャガチャと鎖をはずす音や、かぎでもねじ切るようなそうそうしい音がしばらくつづくと、うちがわから荒々しく戸が開かれたのです。そして、どっと流れ出た光の洪水のなかからあらわれたのは、頭髪をやぶのようにかき乱した22-23才ぐらいの青年で、一目その姿を見たとたん、神父さまは、なぜかぞうっとしました。


 うつろな目で司祭をみていたその人も、つぎの瞬間、さもおどろいたように、2、3歩うしろへさがると、たちまち飛びあがって、「わたしと、あなたに何のかかわりがありましょう、ここは、あなたのおいでになる所ではありません。どうぞわたしを苦しめないで帰ってください。あなたをみていると、妬ましくでならない」と叫び立てました。かれは、ひじょうにおびえているようにみえましたが、そのくせ目は気味の悪くなるほど激しい憎しみに燃えているのです。


 この時叫びをきいて奥からかけっけた家族のものが、四方八方から青年を押えつけましたが、伝道師から一夜の宿をこわれると、かれらは、さも困ったように顔をみあわせました。


「お泊めするのは、お安いことでございますが、お恥ずかしいことに、むすこがごらんのような始末で、お客さまにもご迷惑がかかるかと存じますので・・・」。