キリスト者の模範 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。イエス様の生き方を見習うことはとても価値があります。使徒ヨハネやパウロの生き方に倣うことも価値があります。同じように、彼らの生き様は私たちの信仰生活の参考になるものです。フェイスブックの某グループにも投稿中です。

(ボネ神父伝13)◆4-4、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、13


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4-4、最初の布教地・奄美大島


"ガチャン"一異様なもの音と、瞳を刺す強い太陽の光線に、たちまち眠りから呼びさまされた司祭は、ハッとして飛びおきました。遠い世界の果てから一瞬のうちにここまでとんできたのかと思われるほど、現実へのめざめは、かれにふなれな環境をあたえたのです。


 パジャマをひっかけ、めちゃくちゃな光の乱舞するまぶしい表へ出て行った司祭は、そこへぼう然として立ちすくんでしまいました。ー いつのまにかもぎとられた看板がどうにまみれ、祭壇はくつがえされ、十字架は屋根からおちて、わずかにガラスの残っていた窓が、さっきの石つぶてで粉みじんに砕かれていたのです。


 そこへおずおずと、きのうの青年が近づいてきました。


「くそ!なんてことをするんだ……神父さま、かんべんしてください、やつらは野蛮人ですから、キリスト教を邪教だと思いこんでいるのです」。


「・・・・・・・・」。


 涙ぐんだ瞳で、じっと司祭をみつめていた青年の顔にやがて嘆願の色が浮んできました。


「神父さま、どうか帰らないでください、そのうち、きっとわたしがみなをなっとくさせてみせます。かならず神父さまを助けますから!」


 青年は、前の司祭を失った理由がここにあるのだ、と、かんちがいをしていたのです。かれはそのとき、このみじめな光景とは対照的な司祭の故郷を想像しました。ほこりひとつ立たない真直ぐなアスファルトの広い道路や堂々と立ち並ぶゴシック建築、あるいは、空高く黄金の十字架をかかげてそびえ立つ教会の尖塔など、洗練された西欧文化の映像が、キラキラと白く光っている地平線のむこうがわから、遠く浮ぴあがってくるように感じられたのです。


 しかし、そういってかれが顔をあげたとたん、まるでかれのことばをあざけるかのように、パラパラと石つぶてが飛んできて、もう一度破れた窓ガラスを砕きました。


「だれだ!」とっさに両手をひろげて司祭をかばった青年のひたいを、つぎの石つぶてが鮮血で染めました。かれは、目がくらんで、思わず2、3歩よろめくと、前のやぶがかさかさとゆれ、「ワッ!」と歓声をあげて、悪童たちが散ってゆきました。


 宣教師は、しっかりと青年を抱きとめていました。青年は、信者でしたが、たいせっな司祭を失うまいとするその必死の真心が、どうして沈みかけた司祭の心を、ふるいたたせずにおきましょう。


「いいえ、帰りません。困難が多ければ多いほど、反対にわたしの望みも大きくなってゆきます。どうぞ安心してください。島じゅうの人に福音を伝えないかぎり、死んでもここを離れませんから」。かれは、自分の上に注がれてくる神秘的な勇気を全身に受けとめながらいいました。


 ふたりは、相擁して感激の涙むせびましたが、そのときから青年は神父さまの唯一無二の助手となって、司祭館にとどまり、伝道士と、炊事のしごとを一手に引きうけることとなりました。

(ボネ神父伝12)◆4-3、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、12


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4-3、最初の布教地・奄美大島


 真昼の直射日光を白いヘルメット帽でふせぎながら、若い宣教師がようやくたどりついた教会は、脊丈の半ばは埋もれてしまうかと思われるほど深い雑草におおわれた、あばら家でした。


 そのあたりにむらがっている士民の家もまたそれ以上にひどいもので、かれの故郷では、どれほどみにくい貧民窟にも、これほどのものは見られなかったことでしょう。まして住民の幼稚さ、野蛮さは、かれの心に本能的な侮べつの感情をおこさせずにはおきませんでした。


 思わずかれは、うるさくつきまとう、もの珍し気な子どもたちを乱暴においはらってしまったのです。しかしこのとき、ふとかれは、心に光がさしてくるのを感じました。たとえかれらが無知蒙昧な人間であっても、洗練された文明人と、どんな差があろうか?いつかすべての人が神の前に立ったとき、人間のいかにすぐれた才能も、神の全知の光にてらされれば、たちまち色あせてしまうではないか。この世で無知だった霊魂も、天才だった霊魂も、やがて神の知恵によって働くようになったとき、どこに優劣が認められよう?


 かれがこんな考えにわれを忘れていると


「神父さま、気をつけてください。ハブがいます」、かれを案内した青年が、石の間を指さして、注意しました。するすると草むらの間を通りすぎてゆく白と黒のしま模様をチラッと見ましたが、神父さまには、なぜそんなにハブがこわいのか、あまりピンときませんでした。


 それよりも、はじめて自分の教会をもつよろこびにうっとりとしていたかれは、携帯用の固パンをかじると、疲れも忘れ、若さと体力にものをいわせて、その日のうちに雑草を刈りとってしまいました。さっそく、荒れた教会の手いれをはじめたのです。前任司祭が病気で帰ったあと、教会はまったくうち捨てられたままになっていました。明日は、あんなにあこがれていた布教地での第1回目のミサがたてられるのです。かれは、形ばかりの祭壇を、できるかぎりの工夫をこらして飾りつけました。


 軒下には、用意してきた、天主公教会の看板をさげ、屋根には枝を切ってきて組みあわせると、十字架までとりつけてしまいました。


 これでまがりなりにも教会らしい形がととのったので、かれは満足しました。しかし、さすがにからだは綿のように疲れていました。


"主よ、わが魂をゆだねたてまつる"一ボロボロのベッドに頭をつけると、底のない深い眠りにおちてゆきました。


「お休みなさい、神父さま」。


 故郷の空から、はるばると、幼ななじみの熊星が、窓辺をそっとおとずれて、いたわりながらすぎました。

(ボネ神父伝11)◆4-2、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、11


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教




 しかしまもなく、神父さまのこんな感傷も、遠くかすんで空と直接交わっていた水平線に一筋の線がひかれ、それがしだいに大きく伸びていって、やがて空と海をへだてる陸となってあらわれてきたころには、あとかたもなく消え去ってしまいました。


 かれは、使徒職への第一歩をぶみだす荒々しい興奮に身をまかせながら、一刻一刻と近づいてくるその南の地を待ちかね、甲板の上に立ちつくしたのです。


 それは、1905年、ちょうど日露戦争のはじまる1年前で、この辺都な南の果てにも、やはり戦雲急をつげる切迫したふんい気がみなぎっていました。当時の大島は、継子のように、まったく本州の文明からとり残されたままで、まだいたって未開な土地でありました。住民はほとんど裸足で、やけつくように熱い土の上をあるいていたのです。どんなに貧しいといっても現代の常識では、わたしたちは一文なしで暮す人を想像することができませんが、かれらは、一銭もお金のいらぬ物々交換の生活をしていたのです。それで何か欲しい物があると、収獲したばかりの米や野菜をかついで、また海に近いところでは魚をもって、町へ出かけて行きました。しかし、その収獲さえじゅうぶんではなかったのです。


 便利な肥料のあることを知らぬ百姓たちは、山に行ってソテツを切ってくると、畑にばらまき、とげが足を血で染めるのもかまわず、これを土のなかにふみこんではこやし代りにしていました。


 こうした未開の土地では迷信は、宿命的です。そこには貧しさのほかに、どうにもならない生活の暗さもありました。毎年破壊に旅立つ台風が、いつもきまってここに誕生するからです。すなわち、その絶えまのない自然との長い戦いは、人々のなかに絶えず不安にさいなまれる暗い心を育ててきたので、もはやかれらは、あらゆる未知のものを、恐れなしには待ちうけることができなくなっていました。


 そしてこの不安な未来にたいする暗い期待こそ迷信の最適の住みかで、また文化という新しさにたいする大きな障害でもあったのです。そのうえ、ここでは、まだ禁教時代の影響が抜けきれず、キリシタンは、へびのようにきらわれていました。ボネ神父さまが大島にこられたのは、ざっとこんな状況のもとだったのです。

(ボネ神父伝10)◆4、最初の布教地・奄美大島

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、10


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆4、最初の布教地・奄美大島


「神父さま!」


「はああーい!」


 ある朝、皿をふきふきおばさんが食堂にはいってきました。


「今、Kさんが、神父さまは大島へいらっしゃるといいましたけど、それほんとうでございますか?」


 司祭は、よみかけの新聞をテーブルの上におくと、まじめな顔をして答えました、


「さようで、ご・ざ・そうろう」。


「まあ!」


 おばさんは、あいた口がふさがらないといった様子をしていましたが、たちまちこみあげてくるおかしさに、がまんできなくなってお腹をかかえて笑いだしました。1年あまりのあいだ養ってきたこの無邪気な青年司祭におそろしいハブの住む大島にゆくのかとおどろいてたずねるおばさんに、かれは、やっとおぼえたばかりの最上級のことばで答えたのです。


「でも神父さま、わずか2年そこらでこんな日本語までおぼえておしまいになるなんて、たいしたものでございますよ!」


 おばさんは笑いながらも、つくづく感心していましたが、かの女のおどろきは無理もありません。宮崎にきて以来・ボネ神父さまの日本語熱は、涙ぐぼしいほどだったのです。かれは、宮崎の教会で助任司祭をつとめながら、もう1年間みっちり日本語の勉強をしたのです。


「きっと神父さまのおじょうずな日本語は、これからのご活躍にたいへん役だちますよ」。


 そういって、おばさんは、神父さまに特別上等のコーヒーを入れてさしあげました。それから数日たったある日のこと、かれは淡い糸のような煙を残して走るあやしげな汽船の甲板に立っていました。宮崎から大島への道は、際限なくつづく銀色の海と、その上に広がった青い空と、2年前あの聖母山の下を通って、はじめて日本へ出航した日の思い出が、きのうのようによみがえってくる旅でした。明るい太陽の下で、透明な青味をたたえていたマルセーユの海と、今この目の前にギラギラ反射している重苦しい南の海とは、まったく違った感じがする……それでもやはり、おなじ一つの空につつまれているのではないか!そう考えながら、かれは、まるで見はてぬ夢を追うかのように、じっと水平線のかなたをみつめていました。

(ボネ神父伝9)◆3-3、変なやど屋

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、9


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆3-3、変なやど屋


 しかし、まもなく、若い宣教師は、駅から人力車の車夫が案内してくれたやど屋が、妙に気になりはじめました。やど屋といって頼んだはずなのに、どうもやど屋らしくないからです。


 また、かれは案内されたへやにはいろうとして、ひどい目にあいました。一撃ガン!と、目から火が出るほどカモイに頭をぶっつけたのです。


 さて、痛さをこらえて腰をおろしていると、背後ですっと唐紙のひらく気配がしました。おどろいてふり返ると、ひとりの女がすそを扇のように床の上にひろげて立っていたのです。電燈の反射をうけた白いふすまをバックにして、真白に厚化粧した顔と、はでな着物が、花が咲いたようにあざやかでした。


 はっと顔あからめた司祭は、やがて落ちついてくるとかの女の手と首は小麦色をしているのに、顔だけが壁のように白いので、この人はべつべつのからだをつなぎ合わせているのじゃないかと、妙な気がしました。自分がやど屋と思って連れてゆかれたところが、どんなところかをとうとう悟ったかれが、早々にそこを退散したことは、いうまでもありません。


 外に出ると、すみきった秋の空に星が美しくかがやいていまし々かれには上気したほおを冷たくなでてすぎる夜風が、あの不潔な印象をはらいのけてくれるかと思われるほど、すがすがしく感じられたのです。