キリスト者の模範 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。イエス様の生き方を見習うことはとても価値があります。使徒ヨハネやパウロの生き方に倣うことも価値があります。同じように、彼らの生き様は私たちの信仰生活の参考になるものです。フェイスブックの某グループにも投稿中です。

(ボネ神父伝8)◆3-2、変なやど屋

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、8


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆3-2、変なやど屋


 あれから坊やが、どのように大きくなっていったか、いつ天からの召しだしをうけたのか、いかなる動機がかれを宣教師にしたかなどというようなことはまったくわかりません。なぜならそれは、やみに包まれたまま、今では・永遠のなぞとなって、墓の向こうにかくれてしまったからです。


 のちに、「ボネ神父さま」と、みんなに父の親しみをもって呼ばれるはずだったこの青年司祭が、はるばると来日したのは、ちょうど1年前で、1903年の春まだ浅いころでした。かれは一応鹿児島の教会におちつくと、ただちに猛烈な日本語の勉強をはじめていましたが、まだ実地に使うには、あまり自信がなさそうです。


 汽車をおりるとき、若い宣教師は、きっとだれかが自分をみつけて、飛んでくるだろうと考えていました。しかし今、その楽しい期待は、完全にうらぎられてしまったのです。


 みつけたよろこびに、ほほえみながら近づいてくる出迎え人のかわりに、かれは、もの珍し気にじろじろみてゆく人々の目に迎えられたのです。なかでも、ひとりのいなかふうのおじいさんは、大きな口をあけ、この珍しい外国人をみるために、長いあいだかれのまえに立ちどまっていました。それで、かれも、異郷で経験する最初の旅を、いやというほど味わわされることとなったのです。途方にくれた司祭は、駅員をつかまえると、たどたどしい日本語で問いかけてみました。


「タチバナ通り4丁目、どこですか?」


 駅員は、かれの顔を穴のあくほどみたあとで、あの通りをこう行って、どこそこの角を、右へ曲り、それから2間ほど行って、また左へ曲ってと、早口でペラペラまくしたてるので、この若い宣教師は、いくど聞いても、さっぱりです。あきらめて外に出ると、暗がりに影のように1台の人力車がうずくまっていました。かれは、救われたような気持で、近づいて行きました。


「わたし、やど屋とまりたいです。あなた、やど屋にわたしをつれて行くことできますか?」


 かれは、てまどっているうちに、すっかりおそくなったので、今夜は、とりあえず、近くの旅館におちつくことにしました。まだそのこるは、バスも、ハイヤーもなく、唯一の交通機関としてこの人力車があるばかりでした。

(ボネ神父伝7)◆3、変なやど屋

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、7


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆3、変なやど屋


「ミヤザキ、ミヤザキ」。


 疲れきった夜行列車がプラットホームのまばゆい光のなかにすべりこんでくると、煤煙で黒くなったその長蛇の口からおびただしい旅行者を吐き出しました。


 このとき、詰めえり姿の青年がふたり、あわただしくホームにかけこんできて、何かうなずき合うと、ひとりは1等車のほうへ、もうひとりは2等車のほうへ走ってゆきました。


 どの昇降口も、長い旅から解放された人たちのよろこびで活気づいています。青年たちは、その近くに立って人波にもまれながら、出てくる旅行者の顔を、ひとりひとりくいいるように見ていました。しかし、しばらくすると、車のなかには、ぐずぐずしている人たちが数人残っているばかりになり、ついにかれらの失望は決定的なものとなったようです。そのときすでに駅の時計は、9時をさしていました。ひとりは、もう一度ポケットから手紙を引きだしてみました。


「ほらここにJe suis sur que j'arrivrai a huit heure et demie(たしかに8時半に着く)と書いてあるだろう・・・変だなあ!」


「うん、それはたしかに8時半に着くという意味だよ。とすると神父さまは、車をまちがえられたんじゃないかな」。


 もうひとりのほうも、のぞきこみながら思案にあまったようにあいづちをうっています。


 どこかで困っている人のことを考えながら、かれらはどうしようかというように顔を見あわせていますが、この青年たちは、神学生で、鹿児島の教会から宮崎の教会へ転任してくるという、ひとりの外人宣教師をむかえにきていたのです。


 しかし、その少しまえに、かれらのまったく思いもよらなかった3等車のなかから、背たけのずばぬけて高いフランス人が、のこのこと不器用そうに頭を曲げながら出てきました。これこそ、神学生たちがあれほど熱心にさがしていた宣教師だったのです。


 そのうえ、血色のいい広い額や、何かしらいたずらっぽい感じのする無邪気な目をみていると、だれかの面影が浮んできます・・・まぎれもなくそれは、かつてのわんぱくな越境者、そして、雌馬の乳をのんだマキシム坊やでした。

(ボネ神父伝6)◆2-2、小さな越境者

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、6


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆2-2、小さな越境者


 少しはなれて、ちょうど村の中心にあたるヅ河のほとりには、古い教会の片塔がそびえています。それは、13世紀ごろのゴシック建築で、ベネディクト会の修士たちが建てた修道院つきの聖堂だったといわれています。ひじょうにいたんではいましたが、塔の両がわには美しい回廊が残っており、とくに聖堂の内陣、すなわち、聖職者の席では、大きなひじかけいすに、かの修士たちが一つ一つきざんでいったという、そぼくな、1日約聖書の物語をあらわす彫刻がはどこされています。


 それで、昼間は、道ゆく人々が、古い昔をしのぶよすがにと、たびたび、ここにたち寄ってゆきました。でも、おとずれる者のとだえたこの夜ふけには、気味の悪いはど深い静寂につつまれているのです。


 あれから、もうどれほどの時がたっていたでしょう?
 「ワー、ワー」
 急に塔の下ににぎやかな歓声があがりました。さっきの少年たちが、大好物、砂糖を買って、まるで凱旋将軍のように、意気ようようとして帰ってきたのです。


 「わしの子どものころはじゃ、スイスは税金がなかったじゃ。国境をこえておもしろかったから買いに行ったものじゃ、わんばくじゃったよ!」


 同じような、ある晴れた夏の夜でした。白いあごひげの神父さまが、青年たちを集めて、遠い故郷の患い出ばなしを聞かせました。それから数年たったあとで、みんなが集まって神父さまの思い出を書きました。かれらは、あのやさしい父のような司祭のなかには、強い鋼鉄の芯があったと思いましたが、それはまったく、道理のあることでした。なぜなら、献身的で、他人に愛深いということは、戦場の兵士にも劣らぬ勇気、すなわち、おのれに対して戦いをいどみうる強さをもっていることの証明だからです。馬の乳を飲んだほど野性的で、わんぱくなマキシム君の勇気は、さいわいに、健康な成長をとげつつ、もっとも偉大な勇気である自己支配の獲得へとむかっていったのです。

(ボネ神父伝5)◆2、小さな越境者

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、5


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆2、小さな越境者


 まっかな夕日が、うっそうとした森の頂を金色にそめながら山の端にかくれると、まもなく天使の目のように星が大空いっぱいキラキラとまたたきはじめました。また幾世紀ものならわしどおり、しずかな夜が、フランスとスイスの国境にそびえるアルプスにおとずれたのです。


 だが、今夜は様子が少しかわっています。とつぜん、やぶのなかから小さな丸いものが飛びだして、すばしこいかげがおどるように坂道をのぼって行ったのです。すると、はね返った小枝の間をすりぬけて、また一つ同じかげが、つぎつぎにとび出しては、月光の青白いうす明りのなかをのぼってゆきます。まるで、リスを思わせるような敏捷な動作です。


「君たち、いくら持ってきたの?」


 いちばん先のかげが、急にたちどまって、聞きました。


「ぼく、1フランだよ」
「ぼくも」
「ぼくも」
「なんだ、みんな1フランじゃないか」
「マキシム君、たりるかい?」


 5つのかげは、頭をよせて、しっかり握りしめて汗はんだ1フランの銅貨をみせあいました。もし、この小さなざわめきにおどろいて、あの大空いっぱいの天使の目がみつめたならは、5、6人の少年たちが目をくりくりさせながら一様にいたずらっぽく笑っているのを見たでしょう。無邪気なつぶらなひとみです。この少年たちは、国境を越えて、スイスがわに達したのです。


「バーン!」


 突然どこかで、かすかな銃声がひびきました。


「伏せ!」ひとりが声をおとして叫ぶと、少年たちはパッとうっ伏して、くさむらの中に、じっと息を殺しました。監視所の方向ではなかっただろうか? 一瞬、望遠鏡を手にしたおそろしい見張人の姿が、少年たちの頭をかすめました。


 しかし、いつまでたっても物音一つしないのをみると、かれらはとび起きて一目散にかけだしました。


 やがて、少年たちの姿がみえなくなったころ、どこからか、やさしい鈴の音がきこえてきました。


「カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン」。


 しばらくすると、あちらからも、こちらからも、ひびいてきます。それは、すんだ夜空をふるわせながら、山から山へはね返って、まるで夏の夜の伴奏のように、いやがうえにも詩情をかきたてるのです。このあたりでは、放し飼いの牛の首に、逃げたばあいの手づるになるよう鈴をつける風習がありました。

(ボネ神父伝4)◆1-3、馬の乳

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、4


第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教


◆1-3、馬の乳


 しかし、おおく恵まれたものは、おおく返さねはならないといわれているように、いっか坊やも成長して、遠い異郷の地に56年の長いぎせいをささげる日がくることでしょう。でも今は、まだ幸福だけがほほえんでいます。それに丈夫な男の子の常として、わんぱく時代も通過するはずだったのです。


 そのころのマキシム坊やは、ちょうど光の子のように明るくて、そのうえ、深い伝統につちかわれたキリスト教的愛徳のあたたかいふんい気につつまれておりました。


「神のふところからこぼれ落ちた小さな種子よ、春の日をうけ、めぐみの慈雨にはぐくまれて、すくすく育ちなさい、身も心もすこやかに」。